「原城跡」の発掘調査 鉛製の十字架や鋳型出土 幕府軍銃弾で信心具製造か 長崎・南島原

一揆勢が籠城したとみられる竪穴状遺構から出土した鉛塊や鉛製の十字架など=南島原市役所南有馬庁舎

 江戸時代初期にキリシタン農民らが蜂起した島原・天草一揆(島原の乱)の主戦場「原城跡」(長崎県南島原市南有馬町)の発掘調査をしている市教委は23日、二ノ丸で一揆勢の籠城施設(竪穴状遺構群)や信心具を製造したとみられる工房などを発見したと発表した。
 市教委によると、二ノ丸(約11万8千平方メートル)の発掘調査は2018年に開始。今回の調査区(約540平方メートル)で発見されたのは、籠城施設のほか、防御機能を備えた出入り口跡(虎口(こぐち))や、築城に伴う土木工事の痕跡など。一揆勢が籠城したとみられる竪穴群からは鋳型と素材らしき鉛塊や、鉛製の十字架などが出土。幕府軍から打ち込まれた鉛製銃弾を溶かし、信心具に再加工するための工房だった可能性がある。
 城郭研究の第一人者で、調査を指導した名古屋市立大の千田嘉博教授は「一揆勢が竪穴建物に寝泊まりして原城を守っただけではなく、鉛を溶かして十字架などを製造していたことを具体的に解明した」としている。
 一般向けの現地説明会は28日午前10時半、午後1時半の2回実施。参加無料。問い合わせは市教委文化財課(電0957.73.6705)へ。
 原城は領主・有馬晴信が1604(慶長9)年ごろに築き、37(寛永14)年に勃発した一揆の舞台となった。三方を有明海に囲まれた難攻不落の天然の要塞(ようさい)で、本丸・二ノ丸・三ノ丸などで構成。国史跡で、2018年7月、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として登録された。

© 株式会社長崎新聞社