<博愛の里から>香月経五郎 江藤門下、夭折の逸材

香月経五郎肖像写真(個人蔵)

 明治初期に勃発した「佐賀の乱」(佐賀戦争)。今年は150年の節目に当たり、改めて注目が集まっています。この戦争に深く関わったのが、川副町早津江出身の香月経五郎です。

 香月は幼少時にはあまり目立たなかったといわれていますが、藩校弘道館、長崎に設立された致遠館に学び、江藤新平や副島種臣の薫陶を受けます。特に江藤門下生として、山中一郎と並び「藤門の双璧」と称されていました。

 維新後は、入学した大学南校(東京大の前身)で、官費留学生に選ばれて米国に留学しました。その際、山中が江藤に宛てた手紙の中で香月のことを「英語の読み書きが抜群にでき、かつ高い識見を持っている」と高く評価しています。後にその優秀さを見込まれ、英国に留学中であった旧藩主鍋島直大の学問相手を務めています。その逸材ぶりは、佐賀を飛び越え、後に佐賀の乱で相対することとなった、政府の最高実力者ともいうべき大久保利通をして「男子とみたり」と言わしめるほどでした。

 5月17日からのテーマ展「佐賀に殉じた壮士 香月経五郎」では、佐賀の乱から150年を迎える今年、香月に焦点を当て、若くして逝った知られざる佐賀の逸材の生涯に迫ります。(佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館学芸員・近藤晋一郎)

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