【達川光男連載#52】「オーナーの隣で飲んだ翌日にぎっくり腰」だなんて言えなくて…

女房役の一大事に円山球場で奮投する川口

【達川光男 人生珍プレー好プレー(52)】1991年7月、大井競馬場で競走馬がひたむきに走る姿に心を打たれた私は、起用法に不満を漏らした直後の試合でベンチスタートとなっても文句を言うことはありませんでした。そして同7日の大洋戦で北別府学とのバッテリーで4試合ぶりにスタメン復帰。試合には負けましたが、すっかり心を入れ替えていました。

横浜スタジアムでの試合を終え、巨人3連戦のため札幌に移動。この遠征には松田耕平オーナーも一緒に来られて、試合のない月曜日にビール園で盛大な食事会が開かれました。オーナーの近くには山本浩二監督ら首脳陣が陣取っていたのですが、ヘッドコーチの大下剛史さんに「おいタツ、いつまではぶてとんな! こっちへ来い」と呼ばれてオーナーの隣で飲むことになりました。

宴席では粗相もなかったように思いますが、問題は宿舎に帰ってから起きました。深夜2時ごろトイレに行きたくて目を覚まし、ベッドから出ようとしたところ腰をギクッとやってしまったのです。いわゆる「ぎっくり腰」です。朝のミーティングで大下さんから「8番はワレじゃ」と告げられたときには「なんで今日に限って…」と暗い気持ちになりました。

しかし、オーナーの隣で飲んだ翌日に「ぎっくり腰で出られません」とは口が裂けても言えません。球場に着くなり、福永富雄トレーナーに「先生、なんとかして」と泣きついて座薬とボルタレンを出してもらい、打撃練習はせずにカメラマン席で隠れていました。

こうしたアクシデントに見舞われるのは、不思議と川口和久の登板日が多かったんですよ。旧広島市民球場で「クモ男」が発煙筒を投げ込み、巨人への悪口が書かれた垂れ幕をバックネットに掲げた90年5月12日の巨人戦も、ナゴヤ球場での中日戦で私が試合中にコンタクトレンズを紛失した同8月28日も、先発マウンドに立っていたのは川口でした。

そんな経緯から不測の事態に慣れていたのかもしれません。試合前に「ワシはぎっくり腰じゃけ、二塁に投げられそうにない。頼むぞ」と伝えると、川口は「任せといてください」と二つ返事で、いつも以上にけん制球やクイック投法を駆使して一つも盗塁を許さなかったんです。

川口が8回まで3安打10奪三振で2失点と好投し、9回から大野豊が登板。1イニングを無失点に抑え、2021年に栗林良吏が塗り替えるまで球団記録でもあった14試合連続セーブを達成したのもこの日のことです。第3戦でブラッドリーに逆転サヨナラ3ランを食らって途切れてしまいましたけど…。

大野との「ダブルストッパー」の一角を担うはずだった津田恒実が開幕早々に大病で離脱し、私たちは戦力的にも精神的にも大きなダメージを負いました。それでもチームは一丸となって戦い、5年ぶりのリーグ制覇を達成。パ・リーグを制したのは西武で、第8戦までもつれ込んだ末に3連勝からの4連敗で日本一を逃した86年の雪辱を期すチャンスにも恵まれました。しかし、この頂上決戦でも私は悔やんでも悔やみきれない配球ミスをしてしまったのです。

© 株式会社東京スポーツ新聞社