南杏子さん、55歳で作家デビューし、医師との二足のわらじ「自分にしか書けないリアルな小説を書き続けたい」【後編】

編集者から医師に、そして作家業も。目標に向かって果敢に挑戦し、実現してきた南杏子さん。チャンスだと思ったら迷わずつかみ、まっすぐに突き進む。そのための努力はいとわない。そんな夢中が生み出す突破力が、南さんの原動力なのかもしれません。

前編はこちら。

お話を伺ったのは
作家、医師 南 杏子さん

みなみ・きょうこ●1961年、徳島県生まれ。作家、内科医。
日本女子大学卒業後、出版社勤務を経て、イギリス滞在中に長女を出産。
帰国後、東海大学医学部に学士入学。現在は、都内の病院に内科医として勤務。
2016年、終末期医療がテーマの『サイレント・ブレス』(幻冬舎)で作家デビュー。『いのちの停車場』(幻冬舎)は映画化された。
その他著書は『いのちの十字路』(幻冬舎)など。

高齢者が穏やかな死を迎えるまでの医療を

「一般的に、医療は細分化され、消化器や心臓といったように臓器ごとに分かれています。でも私は、できればひとりで全身を見られる医者になりたいと思い、老年内科の医局に入りました。その後、WHOで出会った信頼する医師が、老年医療でいい病院があると紹介してくださったんです」

それが今、南さんが勤務している都内の高齢者向け病院だ。

「私の患者さんには90歳を超えた方もたくさんいらっしゃいます。8割の方が認知症を患っています。人がゴールまで生き切るためのサポートをする病院です。ここでは大学の教科書で学んだことそのままの医療が当てはまるわけではありません。それぞれの患者さんの日常生活のクオリティーを上げるため、患者さんに教えてもらいながら考えるのが私の仕事です」

南さんは、大学入学のために上京し、祖父母の家に下宿した18歳から20歳の3年間、祖父の在宅介護を手伝い、看取った経験がある。

「脳梗塞で倒れ、ほぼ寝たきりの祖父を、高齢の祖母がひとりで介護していたんです」

まだ介護保険制度がない時代だった。介護の技術も、介護を助ける道具類も一般に広まってはいなかった。

「在宅介護は、する側も、される側も本当に大変でした。手立てがないのだから仕方がないと、当時は思っていましたが……」

祖母も南さんも疲れ果て、介護は愛情だけではうまくいかない、辛いものは辛いと実感させられた。

「現在、私が勤務する高齢者医療の現場では、高齢の患者さんもご家族も納得いく日々を送る技術やノウハウ、設備が整いつつあります。こうした環境で祖父を看てあげられたらよかったのにと、思います」

内科医として都内の高齢者向け病院に勤務する。「人がゴールまで生き切る、というための医療が必要だと思っています」 撮影/樽矢敏広

医療と小説。ふたつが補い合っている

子どもが成長すると、夫婦だけの時間が増えていった。夫の誘いで陶芸やロシアの武術・システマを習いに行ったりするようになる。カルチャーセンターの小説教室に誘ったのも夫だった。49歳のときだ。

「当初は、趣味の延長のつもりで、私はSFとかファンタジーを書いていたんです。そうしたら、指導くださった根本昌夫さんに『もっと切実なものを書きなさい』と言われまして……」

根本さんは文芸誌『海燕』や『野性時代』の編集長を歴任し、そうそうたる作家たちのデビューに立ち会った敏腕編集者だ。

「私にとって切実なテーマは何かと考えたときに、心に浮かんだのは、やはり終末期医療でした」

53歳のとき、「第8回小説宝石新人賞」の最終候補に残った。その縁で編集者と知り合い、何度も何度も書き直して上梓したのがデビュー作『サイレント・ブレス』。55歳だった。

以降、南さんは『ディア・ペイシェント』『いのちの停車場』『ヴァイタル・サイン』と、医療にまつわる小説を書いている。

「小説を書くことで、ため込んでいた思いを発散し心の中を整理しているような気がします。書くことで、命の最後までを見るのが医療であるという確信も強くなりました。常にリフレッシュされ、新たな気持ちで医師として働けているのも小説のおかげかも。小説と医療が私の中で補い合っているのかもしれません」

60歳。映画化された吉永小百合さん主演の『いのちの停車場』を家族で観に。

自分の言葉を信じて書き続けたい

大切にしている言葉は「自分の言葉を信じる」。

「うれしい、辛い、おかしい……自分の感覚を信じ、人にどう思われるかを気にしすぎず、うそのない言葉で書いていきたいと思います」

自分を戒める言葉は「自分に投資をしなさい」。

「数年前まで私、顔はすっぴん、髪はひとつにしばって、毎日同じような黒いパンツをはいて、なりふりかまわず、働いていたんです。そんな私を見るに見かねたのでしょう。ある先輩から、自分に投資をしなさいとアドバイスされまして……」

以来、まめに美容室に行き、丁寧にメイクし、今を感じさせるファッションにも気を配るようになった。

「中身があれば外見はどうでもいいなんて思っていましたが、そうじゃないんですね。どう装うかで自分の気持ちも変わる。他人に与える印象も違う。本当に大事なことだと気づかされました」

今、作家と医師の二足のわらじを支えてくれているのは、2020年に新聞社を定年退職した夫だ。

「医師になりたいと言ったときも、彼はやってみなよと面白がってくれました。今、家事は彼にお任せしています。夫には自由にさせてもらったことへの感謝しかありません。いいチームだと思います。これからも作家であり、医師であり続けたい。私にしか書けないリアルな小説を書いていきたいと思っています」

原稿はスマホでも書く。「通勤時間はたいてい原稿を書いています」。細切れの時間も無駄にせず集中する。
「医学生時代から、電車の中は私の書斎でした」

※この記事は「ゆうゆう」2022年1月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。


© 株式会社主婦の友社