今から半世紀前に、究極のサウンド、ギター、コーラスを武器に、日本のロックシーンを代表する独自の世界を持ったバンドのひとつとなったガロが、本日4月24日(水)7インチシングル「公園通り」(完全生産限定盤)をリリースした。 5月29日(水)発売のベスト・アルバム『シングルズ&オリジンズ』は、ブックレットの序文を元メンバー大野真澄、そしてライナーノーツをTHE ALFEE高見沢俊彦氏が執筆をつとめている。また、アルバム・ジャケットも新たに公開された。
鈴木雅之コメント
70年代の初めニューロックと呼ばれる音楽が若者達を中心に世の中を席巻していた。
ハードロックやブルースを演るバンドが多い中「和製CSN&Y」の触れ込みで
GAROが彗星のごとく登場!!
その卓越したハーモニーとギターテクニックに、いっぺんで虜になった。
コピーもしたしカヴァーもした。
思えばあの頃のGAROのハーモニーが僕の音楽人生の道導(みちしるべ)。
今でもハーモニーが好きでLOVE SONGを歌ってます♬
曽我部恵一コメント
ガロの決して派手ではないけど、絹の織物のように繊細で丁寧な曲作りの素晴らしさをもう一度味わいたいと思います。
高見沢俊彦(THE ALFEE)コメント
高校の頃、放課後友達と行った日比谷野音。ハードロックバンドの後にガロが登場し、3人でアコギ2本によるCS&Nの『青い瞳のジュディ』に心を奪われた。アコギだけなのにロックスピリットに溢れ、なのにオリジナルを凌駕する勢いを感じた。
ガロが残したレガシーは、これからも大きな存在として心の奥に在り続けるだろう。
野宮真貴コメント
『シングルズ&オリジンズ』を聴くとタイムスリップをして11歳の自分に会えた気がした。
マーク、トミー、ボーカル…ベルボトムにロンドンブーツ、別珍のジャケットにロングヘア、彼らは洋楽のシンガーみたいで洗練されていて憧れだった。
彼らが奏でるメロディとハーモニーは甘酸っぱくて、胸がときめいて、ちょっぴり切ない。
それは半世紀の時を経た今も新鮮で美しい。
ガロは私にとって初恋相手のような存在です。
松任谷正隆コメント
僕がプロになるかならないかの時にガロのステージを観た。
繊細で、でもどこかザラッとしたものを感じた。
ウッドストックから抜け出してきたかのようにみえた。
若さゆえのもがきだったのか、あの収まりきらない何か。
あの時に感じたものは何だったのだろう、と今でも思い返すことがある。
村井邦彦コメント
高い音域で歌う男の声は美しい。ガロはFとかGとか高いところでハーモニーを歌う。マーク・トミー・ボーカル、それぞれの声質に個性があるのでハーモニーに独特の響きがありとても魅力的で僕は大好きだ。僕の作曲した「美しすぎて」は今でも時々聴いて楽しんでいる。
山上路夫コメント
ガロの季節
ガロの季節があった。
喜びと感傷が入りまじった美しい世界に
私たちの心は惹かれた。
あまりにも早く解散してしまったけれど、
またガロの季節がめぐって来たようだ。
私たちはガロの音楽を聴きたくなっている。 ガロは、1973年、「学生街の喫茶店」が大ヒット、同年、日本レコード大賞・大衆賞を受賞。5年間の活動中にオリジナルアルバム8枚、ベストアルバム2枚組1セット、シングル盤12枚を発表した、ガロの最新ベスト・アルバムが20年の歳月を経て新たに企画されることとなった。前ベスト・アルバムといえる2002年の2枚組CD『GOLDEN☆BEST / GARO アンソロジー 1971~1977』以来のベスト・アルバムが遂に2024年にリリースとなる。 膨大なガロの全楽曲のなかから、元メンバー大野真澄が選りすぐりの22曲をセレクトした2024年版最新ベスト盤は、一枚組で世界観を描き出す唯一無二な構成となっている。CD1枚の収録時間を最大限活かし、まるで一枚の新作のように、真新しいストーリー仕立てで構成されている。【prologue】の「演奏旅行」から始まり、【singles】として15曲、シングルだけでなく【additional tracks】として5曲【epilogue】の「夜間飛行機」までと、全4章構成に編み上げられた珠玉の一枚に仕上がった。今作でガロを初めて知る方たちからこれまでのガロ・ファンにも必聴なアルバムとなっている。 詳細はアルファミュージック創立55周年プロジェクト“ALFA55”特設サイトから 【ガロ プロフィール】
1971年10月、堀内護(愛称MARK)、日高富明(愛称TOMMY)、大野真澄(愛称VOCAL)の3人グループとしてデビュー。全員がリードボーカルを担当し、3声コーラスと生ギターによるアンサンブルというスタイルが基本的な編成。1973年、「学生街の喫茶店」が大ヒット、同年、日本レコード大賞・大衆賞を受賞。5年間の活動中にオリジナルアルバム8枚、ベストアルバム2枚組1セット、シングル盤12枚を発表するという活発な音楽活動を展開。1975年、解散。