【研究室散歩】@ゲームの美学・感性学 吉田寛准教授 多様化するゲームの不変の本質を追う

皆さんはゲームという身近なものを学問的に考えたことはあるだろうか。実は今、ゲームは多様な学問分野から注目されているのだ。この記事では、美学芸術学研究室で、美学の観点からゲームを研究する吉田寛准教授(東大大学院人文社会系研究科)に、ゲーム研究の魅力と、それがどのように広がっていったのかを聞いた。(取材・堀添秀太)

ゲームへの違和感が研究のきっかけに

吉田准教授のゲームの原体験は1980年にゲーム&ウオッチ(携帯ゲーム機)に出会ったこと。当時10歳だった83年にファミリー コンピュータ(家庭用ゲーム機。略称・ファミコン)で遊び始め、それからゲームの発展をずっと見てきた。しかし、ゲームが進歩し複雑化するにつれて「最近のゲームには付いていけない。昔のゲームの方が好きだった」と感じることがあった。そこから「なんで自分は最近のゲームよりも昔のゲームの方が好きなんだろう」という疑問が浮かんだと語る。「技術が進歩しても、ゲームの本質はあまり変わらない気がしたんです。そのため、デジタルゲームが持つコンピューターの処理能力のような技術的な側面だけでは、分からないものを内容的に分析してみようとゲーム研究を始めました」

ゲーム研究を始める前は音楽史や音楽理論を研究していた。「研究室では音楽や絵画、建築などの芸術を広く浅く学び、感性的な現象を言葉で記述するトレーニングを受けていました」と語る吉田准教授。芸術全般の分析手法を学んでいたため、ゲームもその手法を応用して分析することができたと言う。「美学・芸術学という分野とゲームは相性が良いのかと思います」

ただし、ゲームと音楽などの芸術には違う点もある。まず、ゲームは娯楽であり、工業製品であり、子供のための遊びや玩具だと思われている。そのためゲームはアカデミズムの中で研究する価値を認められてこなかったと語る。「今はゲームには価値があると思われていますが、その価値は論証できるようなものではなく、ゲーム研究の価値は常に問題含みだと言えそうです」。次に、ゲームにはインタラクティビティ(相互行為性)があり、メディアに観客が参加できることだ。文学などと違い、プレイヤーの操作により展開が変わるのがメディアとしてのゲームの特徴だと語った。

研究資料であるゲーム機。左からNintendo Switch、3DS、ゲームボーイアドバンスSP、ファミリー コンピュータ(撮影・堀添秀太)

デジタルゲーム研究の歴史と現在

デジタルゲーム研究が生まれる前にも、ゲームや遊びは研究されていた。例えばボードゲームなどは古代から存在し、歴史学や考古学で扱われていた。また教育学や心理学では子供の遊びが持つ意味が研究されてきた。ゲーム研究でルールの問題などを考える時には体育学(身体運動を通じての人間教育を対象とする学問)の中で行うスポーツの研究が参照されていると言う。

20世紀の終わりごろ、デジタルゲーム研究が日本で登場した。現在の主要分野は三つだ。第一にゲームをどう作るかを考えるゲームデザイン的な研究。第二に人文社会学的な研究で、ゲームの意味や社会的な役割を考える。吉田准教授は、この分野に属し美学の観点から研究している。画面の中の要素だけに注目し、自らの感性を分析することが多い。最近では、オンラインゲームの中に滞在することや、ゲームを通じて他者とつながることの社会的意味なども研究されている。第三にはゲーム産業論。経営などの視点からゲームをどのように開発・保存して社会に役立てるかを考える。

これらの研究が出現したきっかけの一つは、テレビゲームが社会的に普及し、ゲームを遊んだり作ったり売ったりする関係者が増え、その中からおのずと考察が出てきたこと。もう一つの理由は吉田准教授も含む小学生の頃にファミコンが出た世代の研究者が、このタイミングで他の分野からゲーム研究に世界的に移ったことだ。彼らの時代にはゲーム研究では学位を取れなかったので、一度ゲーム以外の分野で研究者になってから、自分の学問分野を背景にしてゲーム研究を始めたというケースが一般的だった。吉田准教授は「第一世代のゲーム研究者は自己流でやってきた人たちで、その背景には単にゲームが好きなだけでなく、ゲームは自分や社会にとって重要だという確信がありました」と語る。

拡大するゲームを学際的研究で捉える

現在のゲーム研究について、吉田准教授は「苦労はたくさんある」と語る。その背景には、ゲームが量と多様性の両面で発達し続けていることがある。ゲームをプレイするには膨大な時間がかかるので、世に出ている全てのゲームをやることはできない。また、かつてはテレビゲームが主流だったが、メディアの発展とともにスマホゲームや『ポケモンGO』のようにGPSを使って外で遊ぶもの、VRを用いるものなどが現れた。このような形態の多様化はゲームの可能性である一方で、ゲームの定義や境界が曖昧になっているとも言える。そのため自分一人では研究できず、共同研究にならざるを得ないと言う。

また、ゲーム研究の大きな特徴は学際性だ。工学や心理学など幅広い分野の知識が必要になるので、他の研究者と教え合ったり、連携して研究したりすることが重要になると言う。吉田准教授は「最近はいろいろな分野で学際的と言われるが、うまくいっていない分野が多い」と指摘し、それらとは対照的に、ゲーム研究が学際的な分野として成立している理由について「マイナーで、ゲームが好きな人がさまざまな分野から集まる領域だからこそ、自分の分野に閉じこもることがなく、学際的な交流ができている」と語った。

現在のゲーム研究について、吉田准教授は「今の大学院生の人たちはゲーム研究がすでにある状態から研究を始めているので、個別の深いテーマを研究する人が増えている」と話し、ゲーム研究に厚みが出てきたと評価する。しかしこれには悪い面もある。ゲーム以外の分野からゲーム研究に入ってくるのが当たり前だった第一世代は他分野との比較ができた。たとえば教育学を専門にしてきた人がゲーム研究に参加すれば「学びと遊びはどう違うのか」などを当たり前に研究できる。しかし、ゲーム研究が独立するにつれてゲームのことしか知らない研究者が増えている。「いかにゲームを他の分野とつなげて考えるかということが重要で、ゲームのことしか知らないと、実はゲームの研究もできないのです」

現在のゲーム研究で主流のテーマとして、吉田准教授はアバターを挙げる。ゲームの中で自分とは違うジェンダーのアバターを使うなどの実践を社会的に考察するなど、ゲーム中のアバターとアイデンティティーの関係を考える研究がある。今は社会とゲームの関係が重要になり、社会や人のつながりの研究をしている人が増えている。ローカルな文化とゲームの結び付きを考えている研究者などがいるという。最近産業的にも文化的にも力を付けてきているインディーゲーム(個人や小規模なチームが制作したゲーム)や、それらを取り巻くプレイヤーコミュニティの研究も盛んだ。他にも、YouTubeなどのプレイ動画・実況動画などもホットな話題であり、個人的にも注目していると吉田准教授は語る。「ゲームをただ上手に遊ぶのではなく、ちょっと変な遊び方をしたり、新しいルールを勝手に作ってゲームを別のゲームに変えたりしている動画があります。それを研究すると、プレイヤーは受動的にゲームをプレイするだけでなく、能動的に創造を行っていることが分かり、ゲームプレイの新たな価値を見いだせます」

これからやっていきたい研究について、吉田准教授は「ゲームや人間の感性の普遍的で変わらない部分について考えたい」と言う。技術や社会はどんどん変化していくが、人間の感性は普遍的であり、さほど変わらない。感性を研究する上で大事なのは、デジタルゲームに限定されない「遊び」にのめり込んだり飽きたりする人間の感情であり、それらは変わってこなかったと言う。「ゲームは『勝敗がある』『勝つとうれしく負けると悔しい』などの遊びの構造を持っています。ゲームの技術やメディアは進歩しても、ゲームの本質である遊びの構造はあまり変化していません。それを現代のゲームを通して理解するのが当面の目標です」

ゲーム研究を独力で試行錯誤しながら作りあげてきた経験を基に、東大の新入生に向けて、既にある学問の知見を生かして新しい学問分野を作ってほしいと呼び掛けた。「私は大学に入学した時、ゲーム研究が将来できるとはまったく思っていませんでした。大学では何でもできるので、自分の興味があることを追求し、仲間を集めて、より新しく現代的な研究分野や学問を作ってほしいなと思います」

吉田寛(よしだ・ひろし)准教授(東京大学大学院人文社会系研究科) 05年東大大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東大大学院人文社会系研究科助教、立命館大学教授などを経て、19年より現職。

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