【雑種タロの実話 後編】愛犬が認知症と診断されて、悲しいというより、なぜかうれしい気持ちになった。「本当に長い間、そばにいてくれてありがとう」

「犬がそばにいてくれたから、幸せな時間が増えた」という一文から始まる書籍『犬がそばにいてくれたから』は、ドッグライフカウンセラー歴30年 三浦健太さん著の「犬の命」にまつわるエピソード集。犬の老いについて学ぶことで、今、犬とかけがえのない幸せな日々を過ごせますように、という願いが込められています。雑種 タロの話の後編です。

★前編はこちら★

「ありがとう、タロ」

次の日、私はホームセンターで厚手の革手袋を購入しました。
「これでかんでも大丈夫だぞ。いいかタロ、思いきりかんでいいからな」

私は、タロがかみつきたいときにかみつけるように準備したのです。タロが喜ぶなら好きなだけかみつかせてやろうと思いました。
それから毎日、タロは庭に放されると私に向かって唸り始め、それを制するとかみついてきました。よくよく観察していると、どうやら庭に壊せるものがないときに唸っているのでした。何かを壊したい衝動。そういえば、亡くなった妻のお父さんも晩年は感情が激しくなり、物に当たっていました。タロも自分の感情に整理がついていないのかもしれない。

「吐き出していいんだぞ。全部、かみついてスッキリしろ」

日増しにかみつく回数は増えていきました。かまれた痛みは気になりませんでしたが、かまなくてはいられないタロの心の痛みに涙が流れました。やがてタロは庭でだけではなく、家の中でも私にかみつくようになりました。手首のところまでの長さだった革手袋では危険だと、妻が肘までタオルでグルグル巻きにしてくれました。

タロは次第に考えも目的もなく、ただかみついてくるようになりました。普通に近づいてきてかむのです。

「タロはお父さんのことが大好きだから、かんでいるのかもしれないわね」
「そうなんだよ、私もそう思うんだ」
「ねえ、タロの目を見て。もうあのときみたいな怖い顔、していないのね」
「本当だ。子犬のころのような甘えた顔してかんでるね」

そして16歳になった日を境に、タロは立ち上がるのが困難になってきました。立ち上がろうと懸命に足を踏ん張ります。はじめはどうにか立ち上がって歩いていましたが、日を追うごとにその歩く距離は短くなり、やがて「クゥ〜 ン」と言うだけで、立ち上がることはできなくなっていきました。そして軽く唸り声を上げて、私の手にかみつくのです。かみつくといっても、もう力は弱 く、くわえるといったほうがいいかもしれない状態でした。私は革手袋を外しました。せめてタロの歯の圧を感じていたかったのです。

タロが寝たきりになって1カ月が過ぎ、次第に食欲もなくなり、やがて水さえほとんど飲まなくなりました。

「できるだけ一緒に、そばにいてあげましょう」
妻がそう提案すると息子が、
「僕、タロと一緒に寝るよ」
とタロの頭をなでながら言いました。
「そうしてあげてくれ。タロも喜ぶだろう」

それから1週間。もう目を開くこともできなくなっていて、息を少しハァ ハァ言わせていることで生きていることがわかるような状態でした。そのタロが急に目を開けました。
「みんな、来てくれ! タロが目を開いたぞ!」

家族がタロの元へ集まり、固唾を飲んで見守りました。タロは久しぶりに声を発しました。小さく小さく「ウ〜」と唸り声を上げています。私は自分の手をさし出しました。

「タロ、かんでいいんだぞ。ほら、私の手だ。さあ、かめ」 タロは口元を私の手にすり寄せ、「クウン」と鳴くと、私の手をかむ......のではなく、なんとペロペロとなめ始めたのです。

「タロが......」

妻も息子もタロの口元へ自分の手を持っていきました。タロは私たちの手をペロペロとなめます。この感触はどれくらいぶりだろうか。家族の誰もが一言も発せず、ただただ懐かしさと優しさにあふれた笑顔でタロを見つめるのでした。そこにいるタロは、ここしばらくの唸るタロではなく、16年前に動物愛護 センターで出会ったとき、そのままのタロでした。タロは懸命に、取りつかれ たように私たちの手をペロペロとなめるのでした。そしてなめるのをやめたとき、その命を閉じました。

タロ。16歳と3カ月の秋の夕方のことでした。

認知症になっても心の絆は続いている

一昔前に比べると、犬の寿命もずいぶん延びました。つい20年ほど前には7歳を過ぎたら老犬といわれ、12歳を過ぎればいつ亡くなってもしようがないと思われていました。今でも、地域によっては10歳を過ぎると保健所から長生きの表彰状が届くところがあります。昔の名残なのでしょう。

この20年で変わったことといえば、まずは獣医学の進歩が挙げられます。次に犬の種類ですが、現代では圧倒的に小型犬が増えています。同時に室内飼いが増えているのも伝染病の予防などには効果があるといえます。愛犬が少しでも長く生きてくれるのはうれしいことですが、老後に現れるいろいろな症状は、飼い方による差もありますが、犬種による差もあるようです。

近年、研究者の間でよくいわれているのが、日本犬(和犬)と呼ばれる犬たちのほうが認知症になりやすいということです。古くから日本の気候や風土になじんできた日本犬特有の食性や消化能力が影響しているのかもしれませんが、確かに、犬の認知症は圧倒的に日本犬に多いのです。昔の日本では、愛犬にはご飯(米)の余りや魚の骨などを与えていました。それに比べて近年のドッグフードの原材料はトウモロコシや鶏肉が主流です。そのような変化の影響もあるのかもしれません。

ただ、時期が来て、動けなくなったり、認知症ぎみになってきたとしても、犬の生の原点である、飼い主さんとの心の絆が消えることはありません。犬の寿命は変えられないのですが、一度築いた飼い主さんとの絆は心の奥底にずっと持ち続けていると信じていますし、信じてあげるべきだと感じています。

※この記事は『犬がそばにいてくれたから』(三浦健太著 主婦の友社刊)の内容をWEB掲載のため再編集しています。


© 株式会社主婦の友社