「塩作りの伝統守る」 珠洲の塩田村、例年通り仕事始め

塩田に海水をまく浦さん=24日午前9時50分、珠洲市清水町の道の駅すず塩田村

  ●雇用継続誓い「塩浜祝」

 能登半島地震で被災した珠洲市清水町の道の駅「すず塩田村」で24日、塩作りの仕事始め式「塩浜祝(しおはまいわい)」が行われた。地震でパート従業員が1人亡くなり、周辺も甚大な被害を受けた中、「塩作りの伝統を絶やさず、雇用を守る」として、例年と同じ時期の活動再開にこぎつけた。雨にぬれた塩田の前で、関係者13人が珠洲の伝統産業の復興と塩の豊作を願った。

 塩田村は、国重要無形民俗文化財「能登の揚浜(あげはま)式製塩の技術」を受け継ぎ、地域振興を図るため1995年に開設された。元日の地震で塩田が一部傾斜し、塩田村に至る国道249号も地震による土砂崩れなどで寸断された。海岸線も海側に40メートルほど沖に移った。

 従業員15人、塩作りで夏場に20人を雇用してきたが、加工のパート従業員の女性が避難生活中に亡くなった。避難先から戻れず、職場復帰できなかったり、夏の塩作りに参加できるか分からなかったりする人が16人に上る。

 しかし、元日の翌日、塩田村を運営する奥能登塩田村の石田尚史社長が浜伝いに歩いて施設に着き、「雇用を守る」と決断。雇用調整助成金などを活用して給料の支払いを続けるとともに、施設の修繕を続けた。

 塩浜祝では、石田社長、泉谷満寿裕市長があいさつし、塩作りの継続と地震からの復興を誓った。神事で塩田や窯を清めた後、10日に避難先の富山市から戻った塩作り職人「浜士」の浦清次郎さん(55)=珠洲市長橋町=が海水をおけですくい、思い切り塩田にまいた。

 石田社長は「きょうのこの日を忘れない。塩田の復活は、珠洲を離れて避難している人を勇気づけることにもつながると思う」と話した。塩作りは10月中旬まで続き、やや不作だった昨年並みの6トンの生産を目指す。

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