『フォールアウト』が原作ゲームファンから支持された理由 風刺精神が活かされた内容に

核戦争後の荒廃した環境でのサバイバルを、凝りに凝った設定と、大勢の深みあるキャラクターたちの営みや戦闘、人間ドラマなどで表現した、アメリカ有数の大ヒットゲームシリーズ『Fallout(フォールアウト)』。「ポスト・アポカリプス」の世界を詳細に作り込んだ内容は、これまで世界中のプレイヤーに唯一無二の体験を与えてきた。そんな人気ゲームが実写ドラマ化されたのがPrime Video配信版『フォールアウト』である。

原作が人気ゲームであるだけに、ドラマ版の出来が悪ければ大きな反発が生まれることも予想されたが、結果は全くの逆となった。本シリーズが配信されると、内容自体の面白さや、実写作品として見事に再現された映像世界の完成度が大きな反響を呼んだ。ゲームシリーズの売り上げが大幅にアップするほどの熱気が生まれ、配信から1週間ほどで、早くもシーズン2の製作が発表されることとなったのだ。

そんな本シリーズ『フォールアウト』が、なぜ原作ファンからの支持を受け、さらにはファンを大幅に拡大するような普遍性を獲得するに至ったのか。ここでは、その理由を考えていきたい。

本シリーズの舞台となるのは、大規模な核戦争から200年もの時間が経過した、荒廃しきったアメリカ西海岸だ。地上では過去の文明が遺跡同然となっていて、核物質の影響を受けた考えられる危険なミュータントが徘徊し、軍事勢力や無法者たちが、水や食料、エネルギーなどを求めて互いに殺し合い奪い合う、危険な荒野が広がっている。

そんな核汚染や野獣のような人間同士の争いなどの脅威とは距離を取り、地中の安全な環境で200年もの間生存を続けている集団もいた。それが、核戦争前にアメリカ各地に建造されていた大規模な核シェルター「Vault(ヴォルト)」に住む人々である。本シリーズの主人公の一人である、ルーシー・マクレーン(エラ・パーネル)もまた、カリフォルニアの「Vault 33」で生まれ育った、Vaultの中の環境しか知らない若い女性だ。

興味深いのはVaultの中の人々が、非常に高い教育が施されていて、礼儀正しく穏やかな性格の人物ばかりだということだ。一緒に住む人々の考えや行動を否定せず、“自分がしてほしいことを相手にもする”という概念である「黄金律」を守ることで、争いを生まないよう最適化された集団となっているのである。

ルーシーもまた、そうしたVaultの文化を引き継ぐ一員として、いつか外界に出て新たなアメリカを創造する子孫を生み出す集団の役割を担うものと考えていたが、ある日Vaultに侵入した乱暴な外界の集団に、父親ハンク(カイル・マクラクラン)をさらわれるという悲劇を経験することになる。そして最愛の家族を守るため、彼女は掟を破り、外の世界への冒険に出かける決断をするのだ。

ルーシーが目にするのは、彼女の受けてきた教育とは真逆の、暴力の支配する恐ろしい有り様だ。そこで出会うのが、群像劇である本シリーズの別の主人公たちである、狂信的な集団に所属する兵士マキシマス(アーロン・モーテン)や、肉体がゾンビ化したザ・グール(ウォルトン・ゴギンズ)など。無法地帯に適した者たちとの関係のなかで、ルーシーは身を守る強さを獲得していくこととなる。

ここでイメージされているのは、開拓時代のアメリカであり、無法者が跋扈する西部劇の世界であろう。ルーシーは生存のため「コンパニオン(連れ)」との協力体制をとりながら旅を続けることになり、劇中では「マカロニ・ウェスタン」風の演出も用意されている。西部劇は、現在ではそれほど作られなくなったジャンルではあるが、例えば『スター・ウォーズ』シリーズなどがそうであるように、こうやってSF的な意匠を凝らすことで、現代のアメリカの観客が受け入れやすい内容となる傾向がある。

その意味において、本シリーズを手がけたのが、同様の趣向を持ったドラマシリーズ『ウエストワールド』のリサ・ジョイ、ジョナサン・ノーランらであることは大きいはずである。荒廃した世界観と、その世界を取り巻くおそろしい真相が明らかになっていく作品構造は、まさに本シリーズにも共通しているといえるのである。

エピソード3つ分を監督もしているジョナサン・ノーランは、兄のクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト ライジング』(2012年)の脚本を手がけている時期に、じつは『フォールアウト3』をプレイしていて、バイオレンスや皮肉な風刺などの要素が見事にまとめられた内容に魅了されたという。そして、それが『ダークナイト ライジング』の執筆に遅れが生じた一因かもしれないと述懐しているのだ。それほどのめり込んでいたのだとすれば、本シリーズはまさに原作の魅力を理解した人物によって実写化されたことになる(※)

本シリーズは、そんな製作者らによって、やはりゲームにも色濃く存在していた、風刺精神が強く活かされた内容になった。その一つが、未来に起こり得る核戦争への恐怖である。最近、現実でも世界各地で戦争が勃発している状況にあるように、核兵器使用の不安が全世界的に高まっているのは確かなことだ。本シリーズは、そのような視聴者の心情に合致する題材を提供していることになる。そして、新型コロナウイルスのパンデミックによる巣ごもり生活の経験が、描かれるVaultの生活と外界の脅威にシンパシーを与えてもいるはずである。

また、そこに放射能汚染への懸念が投影されていることも間違いない。兵器として原爆を使用した負の歴史を持つアメリカの作品として、ミュータントや被ばくした人間への影響をホラーやサスペンスとして描くというのは、不謹慎に感じる面はある一方で、核使用の恐ろしさと後世まで続く環境や人体への影響を周知するという意味では、反核への考えの周知に一役買っているという見方もあるかもしれない。

さらに無視できないのが、本シリーズの政治的な面であろう。物語が描いている、多様性を尊重して他者への共感を大事にする穏健的な考え方と、自己責任を基本とした考え方で武力を保持して身を守ろうとする過激な考え方というのは、同様のイデオロギーに二分された現実のアメリカの姿そのものであるように感じられるのだ。

本シリーズの風刺は、それだけにとどまらない。それら政治思想を包含する国家という概念に挑戦するように存在するのが、複数の大企業が構成する経済界であることが、ザ・グールの過去の回想のなかで示されていくのである。つまり、考えの異なる人々も、その考えが反映された政府も、そして争いの間にも、大きな経済の流れのなかにあり、支配されているというのである。そんな、ある種のシニカルな見方が、本シリーズに底流する皮肉だと考えられる。

1シーズンの結末で画面に映し出されるのは、アメリカンドリームの象徴である、ハリウッドヒルズに設置された有名な「ハリウッドサイン」だ。そして、そこには作中の大企業「ヌカコーラ」の大きな看板も併設されている。これもまた、それが指し示している商業主義が、アメリカに大きな影響を及ぼしているという表現となっている。ここでは、ショービジネスの一形態である本シリーズすらも、そんな商業主義の支配下にあるという、自虐的ともいえるユーモアを提供しているのだ。

重要なのは、世界の背後にあるものを意識すること、自分たちの生きている環境や社会そのものへの疑問や批判精神を失わないことなのではないか。本シリーズ『フォールアウト』は、そんなことをわれわれに語りかけていると思えるのである。

参照
※ https://www.eurogamer.net/fallout-tv-producer-jonathan-nolan-says-playing-the-games-disrupted-writing-the-dark-knight-rises

(文=小野寺系(k.onodera))

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