真田広之『SHOGUN 将軍』秘話 盟友キアヌ・リーブス豪快エピソードも ハリウッド挑戦から20年…60歳を超えて叶えた夢

ハリウッドで活躍する俳優・真田広之さん(63)が、『めざましテレビ』の対談コーナー「The軽部真一」に出演。日本人ハリウッド俳優のパイオニアになる道のりの第一歩に秘められていた並々ならぬ覚悟や、退路を断った挑戦から20年でついに叶えた夢の仕事『SHOGUN 将軍』(ディズニープラス)について、熱く語ってくれました。盟友キアヌ・リーブスの豪快すぎる友情エピソードも!

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ハリウッドに渡り20年 『SHOGUN 将軍』で初の主演 プロデューサーも務める

約20年前に海外に拠点を移し、ハリウッドで闘ってきた俳優・真田広之さん(63)。

『ラスト サムライ』(2003)ではトム・クルーズ、『ブレット・トレイン』(2022)ではブラッド・ピットなど、名だたるスターたちと共演し、数多くの作品に出演してきた真田さんは、まさに日本人ハリウッド俳優のパイオニアです。

真田さんがハリウッドに渡って20年、ついに初主演を務めた作品が、2月から配信がスタートしたドラマ『SHOGUN 将軍』。ハリウッド作品でありながら、本格的で壮大な日本の時代劇を作り上げるため、真田さんはプロデューサーとしても尽力しました。

今年2月、帰国した真田さんに、初対面となった軽部真一アナウンサーがインタビューしました。

盟友キアヌ・リーブスの豪快秘話「アイシングマシンを空輸してくれたおかげで撮影を乗り切れた」

軽部:真田さんが様々なハリウッドの人たちと共演しているのを、もちろん僕らは知っているんですけども、その中でも誰が一番親しいですか?

真田:共演回数としてもキアヌだと思いますね。

軽部:キアヌ・リーブス。

真田:はい。

軽部:良かったです、我々キアヌ・リーブスを想定した質問だったんです。

真田さんが盟友キアヌ・リーブスと『47RONIN』(2013)に続く2度目の共演を果たした『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(2023)で、2人は殺し屋たちを相手に激しいアクションを展開。その現場での、仲良しで豪快なエピソードを明かしてくれました。

真田:『ジョン・ウィック』のときはベルリンで撮影していたんですけど、(キアヌが)「アイシングマシン」という特別な機械を持っていて、「いつでも使ってくれよ」と言ってくれていたんです。

そうしたらですね、ベルリンの『ジョン・ウィック』撮影の後すぐに僕は『SHOGUN 将軍』のためにバンクーバーに飛ばなきゃいけなかったんですね。1週間ぐらいしたらそのマシンをですね、キアヌが送ってくれたんですよ。バンクーバーまで空輸です。キアヌの気前の良さのおかげで「SHOGUN 将軍」の撮影を乗り切れた。

軽部:じゃあもう「『SHOGUN 将軍』Thanks to キアヌ・リーブス」って書かなきゃいけないですね(笑)

アル・パチーノを出待ち!? アル・パチーノを“出待ち” ファンへの対応学ぶ「絶対に裏から出ちゃいけないな」

ハリウッドに確固たる地位を築いた真田さんですが、日本で人気を誇っていたときから既に海外を意識していたといいます。

真田:20代の頃は「今、世界のレベルはどこにあるのだろう」、やっぱり「生で見たい」「感じたい」。3日でも日本で休みがあれば、ニューヨークやロンドンに行って、寝ずにお芝居を2本見て、映画3本見て、飛行機の中で寝て帰ってくるっていうのを常にしていたんですね。

軽部:アル・パチーノのことをすごくリスペクトされていて、“出待ち”したっていう情報があるんですけど…

真田:本当ですね(笑)

『ゴッドファーザー』(1972)で頭角を現した、現代映画界で最高の演技派と評される俳優アル・パチーノ。真田さんは、舞台を終えたアル・パチーノを“出待ち”したときの話を教えてくれました。

真田:ファンだから行ったというよりは、あれだけの人が(会場から)どういう出方をしてファンの方と対応をするんだろうっていうのが見たかったんですね。

雪の中、ずーっと待っていて、(アル・パチーノが)出てきました。丁寧にサインをして、それから車に乗り込んでいく。

「あぁ…やっぱりこういうことをしているんだな」っていうのを見て、どんなに疲れていても、とにかく「ハーイ!」をして、サインをできるだけして、いかなきゃなって、絶対に裏から出ちゃいけないなって、いろいろと吸収することがありました。

そして、20代の頃から世界に目を向けて活躍を続けてきた真田さんに、40歳を過ぎてハリウッド進出への大きなチャンスがやってきます。

軽部:2003年の「ラスト サムライ」がきっかけですか?もっと前ですか?

真田:そうですね、あれが初めてのハリウッド映画。あのときが大きな転機で。

人生を変えた転機で大胆行動 初のハリウッド映画『ラスト サムライ』で「おかしいところは直していこう」切り拓いた未来

トム・クルーズさん主演で、明治維新前後の日本を描いた『ラスト サムライ』。多くの日本人俳優が起用されたこの作品に、真田さんは並々ならぬ思いを抱いて参加しました。

真田:日本でやっていた時には「ハリウッドにちゃんとした日本もの(時代劇)が撮れるのか?」と疑問視をする側だったので。ただ、「待てよ、もし誰かがこの役をやるんであれば、不安を抱いている自分が飛び込んで、正していけるんじゃないか」っていう。「おかしいところは、できる限り直していこう」という思いで飛び込んだんですね。

それが全部終わったときに各ポジションのチーフから食事に呼ばれて、「あぁ、嫌われてるんだろうなぁ」と思って行ったら、「お前の情熱に、この業界に入ったころの情熱を思い起こさせてもらった」みたいなことで「乾杯」と。もう胸が熱くなって、今でも思い出すとね、こう…くるんですよね。

真田:あ、これは、もしかしたら、洋の東西に壁があるとしたら、自分の世代で壊せるんじゃないのかな、と。それで、その2年後くらいに、決まっていた仕事を全部終えて、ハリウッドでの生活をスタートさせて。

ハリウッドで、自分が納得する時代劇を作る。『ラスト サムライ』から20年、それが現実となります。

60歳を超えて夢を実現 初の主演にしてプロデューサー 60歳を超えた集大成としてハリウッドで夢を実現

『SHOGUN 将軍』は、関ヶ原の戦い前を題材にした壮大な戦国スペクタクル。ハリウッドのクオリティで、日本の歴史、文化、精神を忠実に描いた作品は前例のないこと。そこに貢献したのが、日本の時代劇にこだわり、妥協を許さない、主演 兼 プロデューサー 真田広之さんでした。

真田:今回は俳優としてだけではなく初めてプロデューサーも兼ねましたので、まずは脚本作りから。西洋っぽくなるとか、現代っぽくなるとか、一切そういうことを排除していこうと。

同時進行で今後は、東京・京都の時代劇の経験のあるスタッフ、ハリウッドが撮るにしても撮影場所に連れて行くことができて、初めてチームで臨めたという。

真田:なので出番がない日も、とにかく朝一、誰よりも早く行って、セットのデコレーションとか、エキストラがいればその着付け、刀のさし方、全部チェックして、そしてリハーサルに立ち会って気づいたところを直したりアドバイスをしたりして、常に常に毎カット毎カット隅々までチェックをして、そしてライティングが始まったところで自分のトレーラーに帰って、カツラをつけたり衣装を着たりして、現場に戻ってモニターをチェックする。それが基本的な1日でしたね。

脚本の段階では徹底した時代考証が行われ、真田さんの意向で時代劇の専門スタッフが撮影に参加。日本人キャストにすべて日本の俳優を起用したのも、出演を受ける際の条件でした。

軽部:主演にしてプロデューサー、大変ですよね?真田:いや楽しかったですね。軽部:楽しかった…?真田:とにかく楽しかったです。ものづくりに関わる楽しさというのを日々味わっていましたし、むしろカメラの前に立つときが一番リラックスして、ご褒美のような。「あ、今、芝居だけしていれば良いんですね」みたいな感じでしたね。

真田:「カット」がかかって、一緒にモニターを見ているプロデューサー陣、演出家が、「これだね!」って言ったときに、「よぉーし!」みたいな。本当にうれしい瞬間を何度も味わわせてもらったので。

20年前、退路を断ってハリウッドに挑み、60歳を超えた集大成として夢を実現。そんな真田さんが今、見つめる先とは…

真田:本当に時代は変わってきた。世界に配信できるっていう状況というのは、あの頃から比べればもう雲泥の差といいますか。この年になってやっと手の届く役もいっぱいありますので、またデビュー戦を迎えるという気持ちですかね。

(3月5日放送『めざましテレビ』より)

『SHOGUN 将軍』は、ディズニープラスの「スター」で独占配信中。
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