JR福知山線脱線事故から19年 『示談』に応じた被害者の苦悩 JR担当者から『治療を長引かせている』と言われたことも…「ほとほと疲れた」

4月25日、JR福知山線の脱線事故から19年がたつ。

事故で大けがをして、今なおリハビリが欠かせない女性がJRとの示談に応じた。決して納得したわけではない中、決断を下した理由とは。

■今も週3回のリハビリと年1回の手術が必要

理学療法士 塩見匡宏さん:目の方どうですかね?

玉置富美子さん:目の周りがおかしい感じで、首ちょっと動かしたらガクガク、コリコリ、音するの

理学療法士 塩見匡宏さん:最近、寒くなったり暖かくなったりの繰り返しだから

顔や肩のリハビリに励む、玉置富美子(ふみこ)さん(74歳)。日常生活を送るために欠かせないリハビリを19年続けている。

あの日、いつものように通勤のために乗った電車は、目的地には到着しなかった。

2005年4月25日、遅れを取り戻そうと、制限速度を大幅に超えるスピードを出していた列車がカーブを曲がり切れずに脱線し、マンションに衝突。

乗客106人が死亡、562人が重軽傷を負った。当時、玉置さんは3両目に乗っていた。

玉置富美子さん:みんなが『キャー』って言い出して、ドドドドドって音がして、中でかき混ぜられている感じ。そしたら、ふわって体が浮いた。外に投げ出されていて、(地面に)たたきつけられて、止まったから、目を開けたら砂煙が上がっていて、車のクラクションが鳴っていて『あ、事故って私の身に起こったんだわ』って感じでした

玉置さんは、大量の出血で一時、心肺停止の状態に。

かろうじて一命を取り留めたものの、足は肉が大きくえぐれ、顔の右側は頭から顎まで、骨が見えるほど裂け、神経が断裂した。

事故から3カ月後、一時的に退院した玉置さんは、事故後初めて電車に乗った。

以前のように電車に乗って、管理栄養士の仕事に復帰することを目標にしていたが、長引く痛みとリハビリで、その願いはかなわなかった。

19年がたち、傷跡は目立ちにくくなったが、今でも週3回、顔の筋肉を刺激するリハビリや、まぶたを引き上げる年1回の手術が欠かせない。

理学療法士 塩見匡宏さん:ちょっと伸ばしているけど、痛いですかね?

玉置富美子さん:痛い

理学療法士 塩見匡宏さん:リハビリをやめてしまうと、やっぱり玉置さんの生活もつらい思いをされるのかなと思います。この先も続けていかないとしんどいかなと思いますね。すぐ筋肉が硬くなりやすいので

■つらい交渉…示談に応じられなかった理由

玉置さんが負ったのは「体の傷」だけではない。加害企業であるJR西日本との示談交渉にも苦しめられてきたのだ。

被害者は事故直後から、賠償額や条件について、JRの担当者と話し合わなければならない。

治療を続けながら交渉にあたる玉置さんに、ある担当者は心ない言葉を浴びせた。

玉置富美子さん:(事故から)1年半後くらいでしたかね、その時の担当者に言われたのが、『今行っている病院とつるんで(治療を)長引かせている』っていう風に言われた時のショックさというのは…

痛みプラス、信じてもらえない、痛みを分かっていただけないつらさ。『つるんで、本当に痛くないことなのかな?』という風に自分を責めてしまう部分があったので、それはしんどかったですね

痛む体に、追い打ちをかけるように負った「心の傷」。

JRを頼ることはできず、事故からおよそ10年後に自ら見つけ出したのは、正常に機能していない足の神経を再生させる手術だった。

稲田病院 稲田有史医師:いかがですか?大丈夫ですか?前のビリビリした痛みありませんね

玉置富美子さん:ふふっ…

稲田病院 稲田有史医師:(足の裏に触れると)くすぐったがってるでしょ?これ大成功です

玉置富美子さん:ほんとね、もっと早くに分かっていたら、こんな苦しんでいなかったのになって…

示談してしまえば、新しい治療法が見つかっても受けられないのではないか…。そんな不安も感じていた。

さらに、担当者が替わるたびに引き継ぎが不十分なJRに対し、家族も不信感が募っていった。

玉置さんの夫:何回も(交渉を)やっているけど、最初にJRが言ってくることと、担当者が替わって言ってくることが変わってくる。だから『どないやねん』っていう、こっちからしたら。最初は女性の平均寿命までの治療費を払うって話だったのが、変わってきた

玉置富美子さん:『出せません』『保険でしてもらいます』と。でも私がやっているリハビリは、保険ではもう受けられない。そしたら(治療費は)出ないということ

ただ、電車に乗っただけなのに…。交渉を通して、玉置さんの心は次第にすり減っていった。

2023年5月、玉置さんは決断を下した。

JRとの示談に応じることにしたのだ。この時には、73歳になっていた。

玉置富美子さん:ほとほと疲れちゃった。もう嫌なこと言われるの嫌やし。ちょうど2、3年目でまた(担当者が)替わる。替わったら、またひどいことを言う人が来たら、もうそれがつらい。心を傷つけられるのが嫌だったから

長引く交渉を終わらせるために合意した条件は、「90歳までの治療費や病院までの交通費はJR西日本が負担する」という内容だった。

玉置富美子さん:だんだん体が弱ってきているのに、またひどいこと言われたら精神的にもすごく傷つくから。『またJRと会わなきゃいけない』という思いがすごく嫌だったんです。その重圧から解放されることが一番大きかったと思います。だから納得じゃない。だって、私が倒れて家族全員がつらい思いをしています。娘も仕事に就けなかったし、家で私の介護をしなきゃいけないし、私も苦しくて寝られないこともあったし、納得できる理由なんてないんですけど、とにかく『JRと会いたくない』という、それが一番大きな理由でした

示談に応じた後も、事故当時に着ていた服はあの時のまま残している。

玉置富美子さん:なんかね、私の人生、ここで変わっちゃったって感じ。人生全てが変わってしまったので、捨てられない

4月25日で事故から19年。

JR西日本は、けがをした人や遺族の9割以上と示談交渉を終えているが、全ての人が納得した形で示談に至ったわけではない。

罪のない被害者に対する誠実な対応が強く望まれる。

(関西テレビ「newsランナー」 2024年4月24日放送)

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