今も生きるバンドン精神 竹やりで入植者に抵抗

今も生きるバンドン精神 竹やりで入植者に抵抗

 【新華社ジャカルタ4月24日】インドネシア・バンドン市街地の北部に、尖った竹を並べた形をした西ジャワ人民闘争記念碑が立っている。正面には17段の玄武岩の階段があり、上った先には、竹やりをかたどった8本の石柱が直径45メートルの台座にそびえ立っている。インドネシアが独立を遂げた1945年8月17日を記念してデザインされた。

 竹は、ジャワ島西部に住むスンダ人の間で自由を表し、バンドンの人々の象徴でもある。記念碑の柱が竹やりの形をしているのは、インドネシアの人々が当時、入植者に抵抗するために使った主な武器が竹やりだったことにちなんでいる。

 1619年、欧州の新興勢力だったオランダは、ジャワ島の貿易中心地ジャヤカルタを支配下に置き、バタビアと名前を変え、オランダ東インド会社の東インド総督府を置いた。長期にわたりインドネシア植民地統治の拠点となったこの都市こそ、現在のジャカルタに当たる。300年以上続いた植民地支配の中で、オランダ人は一貫して略奪者の役を演じ、後先を考えず搾取する野蛮な政策を進めた。インドネシア経済はいびつな発展を余儀なくされ、完全に宗主国の原材料供給地と化し、人々の生活は困窮を極めた。

 20世紀前半、抑圧されていたアジアの人々は徐々に覚醒を始め、インドネシア人民の自主独立を求める声も日増しに高まっていった。(記者/陶方偉、叶平凡、鄭世波、王晨笛、劉賛、孫磊、侯鴻博、古魯、瓦揚、李濤)

© 新華社