日本ラグビー支えた“小さな勇者”田中史朗 涙の引退表明「17年間最高に幸せでした」日本代表HC就任への意欲も

 笑顔で写真に納まる(左から)松島、田中、松田(撮影・持木克友)

 ラグビーの元日本代表でワールドカップ(W杯)に3大会連続で出場し、19年W杯日本大会では初の8強入りに貢献したSH田中史朗(39)=NEC東葛=が24日、今季限りでの現役引退を表明した。都内で記者会見を開き「17年間という長い現役生活でしたが、最高に幸せな時間でした」と目に涙を浮かべながら語った。引退後は、同クラブのアカデミーコーチとして普及活動を続けていくと明かし、将来的な日本代表ヘッドコーチ就任への意欲も示した。

 田中は息をフーッと吐いた後、意を決したように語り始めた。「今シーズンをもちまして、現役を引退することを決めました」。日本ラグビー界をけん引してきたベテランは、時折、声を詰まらせながら決断を報告した。

 どん底も歓喜も味わってきた。田中にとってW杯初出場となった11年大会、日本は3敗1分けで終了。帰国するとメディア、ファンを含めて空港での出迎えはほとんどなく、「日本のラグビーが終わってしまうという危機感があった」と責任感を胸に活動を続けてきた。

 12年から海を渡り、ハイランダーズの一員としてスーパーラグビーで日本人として初めてプレー。小柄な体でも巨漢選手に果敢にタックルを浴びせファンを魅了した。「自分の使ってきた時間が日本のラグビーを変えていけると思ってプレーしていた。今の子どもたちも世界を見る機会が増えたと思う」とパイオニアとしての自負をにじませる。ラグビー人気は着実に浸透。日本開催の19年W杯後には、5万人のファンが集まったパレードの光景に号泣した。

 「ラグビーは人生」と表現した39歳。まだまだかなえたい夢がある。「選手として日本代表で試合に勝つことの喜びを感じたので、それをもう一度味わいたい」と、ヘッドコーチへの意欲を示した。“田中JAPAN”が世界を驚かせ、指揮官が涙する。そんな日が来るかもしれない。

 ◆田中史朗(たなか・ふみあき)1985年1月3日生まれ、京都府出身。伏見工高から京産大に進み、2007年に三洋電機(現リーグワン・埼玉パナソニック)に加入。08年に日本代表に初選出された。12年には日本人で初めてスーパーラグビー・ハイランダーズに入団。19年からキヤノン、21年からはNEC東葛に所属した。ワールドカップ(W杯)には11、15、19年の3大会に出場、日本代表75キャップ。166センチ、75キロ。

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