【コラム・天風録】民主主義の合言葉

 アジア人初のノーベル賞を1913年に受けた3年後、インドの詩人タゴールは初めて日本の土を踏む。倉敷市生まれの詩人、薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)の随筆にある。友人だと称する手合いが〈其辺(そこら)ぢゅうから飛び出し〉てきた、と▲それだけではない。「寝言が韻を踏んでいた」だの「左のポケットに詩が、右には哲学が入っていた」だの、好き勝手なことを口にしたらしい。すぐ尻馬に乗って騒ぐ風潮に、泣菫はちくりと皮肉を効かせたのだろう▲タゴールが「マハトマ」と尊称で呼んだのがガンジーである。非暴力を唱え、インド独立を導いた人。その胸像が広島市では既に据え終わり、長崎市では宙に浮いている▲かの国の申し出から、寄贈の話は長崎もトントン拍子だった。設置先も観光名所「眼鏡橋」で落ち着き、工事に入る。途端、地元から待ったがかかる。趣旨に異論はないが、頭越しで進めるのはおかしい―。民主主義の定着に尽くしたガンジーなら、住民の肩を持つのではないか▲今、総選挙の投票がインドで進んでいる。有権者の数は約10億人に上る。軽々しい風潮やお上の独断で、自分の人生や地域が曲げられぬようにする。民主主義の鉄則は、どこも変わるまい。

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