小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=131

 ある日のこと、
「私たち(彼女には養女が一人いた)、家の炊事に毎日あくせく働いているからメザーダ(月給)を貰いたい」
 と言い出した。田守は最初、冗談ぐらいに聞き流していたが、相手は真剣な顔で毎日くり返す。
「夫が生活費をだし、妻が家事を取りもつのが夫婦じゃないか。給料を支払うなんて不自然だ」
「妻の求めるだけくれるのが愛情というものよ」
 一緒に働いて二人で儲けよう、とくり返していた女がこの豹変ぶりである。田守も、この言葉には功利的になるにも程があると思う。
「お前は夫から、全部巻き上げて、無一文になったところで追い出すつもりか」
「私はね、お金、お金って言うけど、お金がなかったら母の葬式も出せなかったし、妹の養育もできなかったわ。世の中はお金が全てなのよ」
「お前は金の奴隷だ。金は生活するだけは必要だが、それ以上欲ばらぬほうがよい。一方で財を得れば他方で貧困者がでる」
「そんな聖者みたいなこと言ってたら、その内にどん底に落ちてしまうわ」
「価値観が違うのだ。俺はもっと美しい生き方をしたい。俺の考えが解るまい」
 田守は言い捨て、出勤のために車庫に廻った。マチルデは寝間着姿のまま彼の後ろに立ち、
「ちっぽけな土地や家を売買するからって、女子供に不自由させるような仕事ではなく、何かもっとパッとした商売はないの。一生けちけちしているなんて、ごめんだわ」
 と、毒づく。こんな口争いが何年か続いた。
 こういう女と一緒に暮らすのも、もう限界だ。俺は女を信用することのできない男なのだ。まず、母親と暮らしていることが永年の苦しみだった。そして結局は許すことができなかった。これ以上、女性には深入りすまいと思いながら、ひょんなことからマチルデと結婚した。

 ……世間並の生活はできると考えていた。が、とても、あの女の言動にはついていけない。こんな関係が世の男女のあり方とは思えない。もし、それが当り前だとしたら、俺が変わり者ということになる。変わり者でも構わない。卑屈に生きるなんてまっぴらだ。もっと俺らしい生き方がある筈だ。母から逃げ出したように、この女からも逃げ出さなければ、俺の自由はないのだ……
 田守は独白した。

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