アビスパ史上唯一、日本代表に選出されたレジェンド スローモーションに感じた伝説のプレーを語る

川崎戦について語るアビスパ福岡OBの山下芳輝さん(撮影・軸丸雅訓)

アビスパ福岡の歴史の中で、所属選手が日本代表に選出されたのは1人のみ。FWだった山下芳輝さん(46)だ。2001年に当時のトルシエ監督に選ばれ、02年日韓W杯代表の候補になった。

福岡市出身で1996年に東福岡高からJリーグ参戦したばかりのアビスパに入った。「地元にJリーグクラブができるなら地元がいいのではと、(東福岡高の当時監督だった)志波芳則先生と話をして。平塚(現湘南)からもお誘いをいただいて2択だったんです」と振り返る。

加入した96年は元アルゼンチン代表のトログリオやディエゴ・マラドーナの弟・ウーゴらがおり、「練習で全然、ボールが取れなかった。衝撃的でした」とレベルの高さに驚いたという。それでも開幕戦でデビュー。「1年目は地元でたくさんのお客さんの前でプレーできるのが本当に幸せでした」。同年は高卒ルーキーながら19試合に出場し、2ゴールを挙げた。

しかし、チームは結果が出ない。96年は15位、97年は年間17位、98年は同18位。「お客さんもだんだん少なくなっていって…」

忘れられない試合が98年のJ1参入決定戦1回戦。対戦相手は川崎。負けた時点で翌年発足のJ2(2部)降格が決まる試合だった。「経営のこともあってJ2に落ちたらチームがなくなるんじゃないかという不安もありました」

1―2と追い込まれた後半のアディショナルタイム。ゴール前の混戦の外にいた山下さんにボールが転がる。「スローモーションのように感じたんです。どこが空いているかも見えて」。インサイドキックで丁寧に蹴ったボールがネットを揺らし、延長戦のフェルナンドのVゴールで1回戦を突破。第3参入クラブ決定戦で札幌に勝ち、J1に生き残った。

2000年まで21ゴールを積み重ね、福岡のJ1残留に貢献した山下さんは日本代表のトルシエ監督の目に留まった山下さんは01年に日本代表に初招集された。翌年の日韓W杯にアビスパの選手を。福岡の期待も高まったが、この年、J2への降格が決まってしまう。

注目が浴びやすいJ1で日本代表入りを目指すのか、福岡に残ってJ1復帰を目指すのか。山下さんは最終的にJ1仙台入りを選択した。「アビスパに残りたいという気持ちは強かった」。それでも当時福岡のピッコリ監督の「J1でプレーした方がいい」という言葉もあって移籍を決断したと振り返る。

W杯での日本代表入りは叶わなかったが、福岡で挙げた通算27ゴールは今でもクラブのJ1での最多得点だ。「早く更新する選手が現れて欲しいし、更新されるでしょう。それだけ、能力のある選手がたくさんいる」

5月6日の川崎戦は「西スポWEB OTTO!アビスパにわか祭り」として開催される。あのJ1参入決定戦1回戦から26年―。時は流れて川崎はリーグ戦を4度制覇。一方の福岡は長くJ2で苦しみ、昨季、クラブ初のタイトルを獲得した。山下さんは福岡と川崎の縁を感じながら熱戦を期待する。(向吉三郎)

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