尼崎JR脱線事故、発生から19年 現場の追悼施設で慰霊式、遺族や負傷者ら手を合わせる

現場を通過する電車の車掌が頭を下げていた=25日午前7時23分、尼崎市久々知3(撮影・笠原次郎)

 乗客106人と運転士が死亡した尼崎JR脱線事故は25日、発生から19年となった。現場に整備された追悼施設「祈りの杜」(尼崎市久々知3)では追悼慰霊式が営まれ、遺族や負傷者ら約310人が祈りをささげた。午後には一般参列者も訪れ、犠牲者に花が手向けられた。

 祈りの杜は、電車が衝突したマンションや隣接地をJR西日本が買い取り、2018年に整備した。マンションは4階部分までが残され、傷ついた外壁などが事故の衝撃を伝える。

 事故が起きた午前9時18分の少し前、現場近くを快速電車が時速25キロに速度を落として通過した。手を合わせる人たちの姿が見られ、JR西の長谷川一明社長ら役員も黙とうした。

 式典では長谷川社長が「かけがえのない尊い命を奪ってしまった。人命を預かる企業としての責任を果たしていなかったことを反省し、安全性の向上に努める」と述べた。

 尼崎市内の別会場での映像中継や、オンライン配信も実施した。

 JR西は脱線事故を受け「安全考動計画」を策定、全社員対象の研修に力を注いできたとする。

 しかし17年、新幹線の台車に亀裂が入り、乗務員が異臭などに気づきながら運行を続けたことが判明。23年には大雪の影響で列車が立ち往生し、多くの乗客が長時間車内に閉じ込められるなど、安全を脅かす問題が続いた。

 また全社員のうち事故後に入社した社員が約68%に達し(今月1日時点)、惨事の風化防止が課題となっている。

 同社は脱線事故車両の保存施設の整備を、大阪府吹田市の社員研修センターの隣で進めている。25年12月ごろの完成を目指すが、遺族からは「一般公開するべき」「事故現場で保存を」と求める声も出ている。(岩崎昂志)

【尼崎JR脱線事故】2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間で、宝塚発同志社前行き快速電車(7両編成)が脱線し、線路脇のマンションに激突、乗客106人と運転士が死亡、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った。JR西日本の山崎正夫元社長が業務上過失致死傷罪で在宅起訴され、井手正敬(まさたか)元会長ら歴代3社長も同罪で強制起訴されたが、無罪判決が確定した。

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