<からつ今昔写真観>(1)13番曳山「鯱」 伝統文化が絆生む

1876年に制作され昭和初期まで曳かれていた13番曳山「鯱」(唐津神社所蔵)

 唐津くんちの13番曳山(やま)は水主町(かこまち)の「鯱(しゃち)」。1876(明治9)年に制作され昭和初期まで曳かれていた「初代」は、見慣れた現在の鯱と比べて胴回りが太く、額のトゲや歯が凶暴そうに見えます。

 この鯱は他の曳山に比べて大きく、操作も難しく傷みが早かったようで、中島製瓦の先々代・中島嘉七郎氏が1928(昭和3)年から31年にかけて制作したものが現在の鯱です。それまでの鯱にはなかった「耳」は、嘉七郎氏の夢の中でイメージが広がり、付けるに至ったそうです。

 古い方の鯱は、大石神社の境内に置かれて子どもたちの遊具となり、やがて朽ち果てていったとのことです。

 現在の鯱の制作当時には輪島塗の技術が生かされていたそうです。2019(令和元)年から翌年にかけて実施された最新の修復も石川県輪島市の田谷漆器店が手がけ、色鮮やかな鯱がよみがえりました。九州と北陸、遠距離ながら曳山と漆という伝統文化で新たな絆が結ばれました。

 そんな折、今年1月の能登半島地震では田谷漆器店も工場や事務所が倒壊し、建築中のギャラリーが焼失するなど甚大な被害に遭いました。唐津市では、鯱を運営する水主町を中心に輪島塗の再興を願って、見舞金を贈るなど支援の輪を広げています。

(まちはミュージアムの会)

1928年から31年にかけて制作された「鯱」。2020年に修復を終えた(2023年11月撮影)

© 株式会社佐賀新聞社