YOKAI(妖怪)は世界共通言語 三次の妖怪博物館オープン5年 海外へ文化発信

ギャラリートークで来館者㊨に展示解説する吉川さん

 江戸期の妖怪伝説「稲生物怪録(いのうもののけろく)」の舞台である広島県三次市三次町の妖怪博物館が、2019年4月のオープンから26日で5周年となる。新型コロナ禍の中で、企画展や市民とにぎわいをつくるイベントに取り組み、海外へも妖怪文化を発信してきた。関係者の受け止めや展望を探る。

なぜ三次に妖怪博物館

 長い鼻に目が三つ、着物姿で手足は毛むくじゃら…。ぞろぞろ進む妖怪たちを描いた江戸期の絵巻「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)」の展示コーナーで話が弾む。「踊る妖怪もいて、どこか人間味があると思いませんか」。妖怪博物館の吉川奈緒子学芸員(42)の解説に来館者が聞き入る。

 毎月第3土曜日のギャラリートーク。今月20日、千葉県から訪れた赤川好美さん(68)は「解説を聞くと何倍も面白くなる」とほほ笑んだ。

 この博物館はなぜ、三次町にあるのか―。江戸中期の妖怪伝説「稲生物怪録」の主人公の少年で、実在した稲生平太郎が暮らした町。時代は移ろい、妖怪研究家の湯本豪一さん(73)=東京都江戸川区=から約5千点のコレクションを譲り受けた三次市が、公立では国内初の妖怪テーマの博物館としてオープンした。

コロナ禍で打撃

 それから5年。名誉館長の湯本さんの助言を受け、江戸期から現代までの妖怪にまつわる絵画やグッズなどの企画展を計20回開いてきた。開館した19年度の入館者数は目標の10万人を大幅に上回る14万人。ただその後、新型コロナ禍で年間3万~4万人に落ち込んだ。

 「妖怪は日本を代表する文化。再出発へどうPRしていくか」。植田千佳穂館長(69)は歴史も振り返って力を込める。

 妖怪ブームが起こったのは江戸期。稲生物怪録も書籍や絵巻となり庶民に広がった。さまざまな形で残る妖怪文化は、明治期から戦中戦後を経て「伏流水のように現代へと流れ込んでいる」(湯本さん)。漫画家の故水木しげるさんが三次を舞台にした「木槌(きづち)の誘い」を発表した翌年の1999年、市民によるまちおこしのプロジェクトが始動。博物館の誕生につながった。

アジアや欧州に巡回

 その後、海外への妖怪文化の発信も強めてきた。21年から国際交流基金(東京)主催で、所蔵する絵巻のレプリカや模型など55点を紹介する巡回展を実施。アジアや欧州の9カ国19都市を巡り、今後も続く予定だ。

 一方、同館をはるばる訪ねてくるケースも。21年春にオーストラリアの旅番組のクルーが、昨秋にはロシアの若手芸術家がやって来たこともある。「日本固有の『YOKAI』は世界共通語になりつつある。外見は小さい館だが、発信力は絶大」と湯本さん。

 妖怪といえば山陰には4月に改装オープンした水木しげる記念館(境港市)と、小泉八雲記念館(松江市)があり、両館とは4年前から共通入館券などで連携する。植田館長は「この地域は妖怪文化を広く深く発信できる。国内外を問わず魅力を届けていきたい」と強調する。

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