記憶なくても… 神奈川の被爆者女性が「交流証言者」に 朗読団体の大塚さんも 長崎

村上さん(モニター左)の壮絶な被爆体験を聴衆に語る福島さん=長崎原爆資料館

 被爆者の体験を語り継ぐ長崎市の家族・交流証言者事業で、長崎原爆の被爆者で着付け講師の福島富子さん(79)=神奈川県葉山町=が11日、長崎市平野町の長崎原爆資料館で初めて講話した。被爆者が親族以外の証言を語り継ぐ交流証言者になるのは初めて。被爆当時の自身の記憶はないが、「自分にできることで平和を伝えたい」と着物姿で舞台に立った。
 福島さんは生後7カ月ほどで被爆。終戦後は家族と離れ、長崎市外の親戚宅に預けられた。現在は若者らに着付けを教えながら、平和の大切さを伝えている。
 福島さんが証言を受け継いだのは同県藤沢市の村上八重子さん(94)。長崎に住んでいた15歳の時、動員先の山里国民学校(爆心地から700メートル)で被爆。福島さんは同県の被爆者団体で村上さんと知り合い、その強い生きざまに引かれ、交流証言者になることを決意したと言う。
 11日の講話では、爆風で全身にガラス片が刺さり、急性症状で吐血を繰り返すなどして医師から死を宣告されながらも、驚異的な回復力で生き抜いた村上さんの被爆体験を紹介。「村上さんの平和への思いをしっかり受け止め、家族から一人離された私のような子どもを二度とつくらないよう、平和な世界にしたい」と強調した。

 この日は朗読ボランティア「被爆体験を語り継ぐ 永遠(とわ)の会」の大塚久子代表(66)も交流証言者デビュー。18歳の時、長崎師範学校(爆心地から1.8キロ)で被爆した築城昭平さん(97)の証言を語った。全身血だらけになりながらも5キロ以上離れた救護所まで歩いて向かった体験や、築城さんの「平和を愛する人になってください。被爆者からの心からの願いです」というメッセージを聴衆に訴えた。
 11日時点の同事業の家族証言者は15人、交流証言者は40人。

築城さんの交流証言者としてデビューした大塚さん=長崎原爆資料館

© 株式会社長崎新聞社