【達川光男連載#53】北別府学を勝たせたかった…江夏豊さんが激怒した「初球の入り方」

秋山に先制弾を許した北別府はガックリ

【達川光男 人生珍プレー好プレー(53)】日米通算4367安打を誇るイチロー氏の通算打率は日本で3割5分3厘、メジャーでは3割1分1厘。トータルだと3割2分2厘です。これは大変な数字ですが、希代の天才打者でも10回に6回以上は打ち取られています。いくら周囲から称賛されても、選手というのは「なぜヒットにできなかったのか?」を考えてしまうもの。私もこうして自分の球歴を振り返っていると、良かった思い出より「なぜ、あのとき…」という後悔ばかりが頭に浮かんできます。

1991年の西武との日本シリーズも、その一つです。戦前に敵将の森祇晶からメディアを通じて「広島は投手がいいと言われているけど、7~8割は達川のリードで力を引き出している。頭もいいし、口も達者。一筋縄ではいかない」なんて“褒め殺し”されても調子に乗ることもなく、同じ顔合わせだった5年前のリベンジに燃えていました。

結果的にはこのシリーズでも先に王手をかけながら逆転で日本一を逃すわけですが、いまだに後悔しているのは1勝1敗で迎えた旧広島市民球場での第3戦です。カープの先発は北別府学。7回までに4安打4四球で毎回のように走者を背負いながらも、要所でゴロを打たせる丁寧な投球で無失点に抑えていました。

そして迎えた運命の8回。先頭打者の秋山幸二に対して、私は初球にスライダーのサインを出しました。それまでの3打席は内角のシュートを見せておいて、最後は外へのスライダーで初回一死三塁では三ゴロ、3回二死二塁は空振り三振、5回二死一塁も遊ゴロに料理していましたが、0―0という展開の中で、そろそろ同じパターンではやられると配球を変えたのです。これが裏目に出てしまいました。

思惑よりやや真ん中寄りに来たスライダーを秋山がジャストミート。左中間へと飛んでいった打球は、フェンスによじ登ってグラブを差し出した前田智徳のはるか上を越えてスタンドへ。カープ打線は相手先発・渡辺久信の前に1点も奪えず、そのまま0―1で敗れてしまいました。

試合後には監督やコーチではなく、スポーツ紙の評論で球場に来られていた江夏豊さんに、めちゃめちゃ怒られました。記者席からベンチ裏まで下りてきて「あれだけ初球の入り方には気をつけろと教えたやろ!」と。のちに紙面で確認したら
「責めるとしたら、スライダーを要求した達川だろう。達川にちょっとした細かい配慮があれば、あの棒球のスライダーは未然に防げた。構えを少しでも外に寄せるだけでもいい。達川らしい気配りがなかったのは、あまりにも残念だ」と厳しく指摘されていました。

北別府は8回途中1失点、145球の熱投もむなしく敗戦投手となってしまいました。投手王国の大黒柱としてチームを5度のリーグ優勝に導きながら、日本シリーズでは5度の救援を含む11試合に登板して0勝5敗。なんとしても勝たせたかったし、勝たせてやらなければならなかった。北別府は病魔と闘い続けた末に昨年6月に他界してしまい、その思いは募るばかりです。

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