新緑もえる低山ハイク、越生10名山を歩く 幕末の動乱舞台の道も

関八州見晴台の山頂に通じる上りでは一部のツツジが見頃を迎えていた=16日

 新緑の若葉がもえ、低山ハイクが楽しめるゴールデンウィーク。2016年に全国で初めて「ハイキングのまち」を宣言した埼玉県越生町で、町観光協会が投票で選んだ「越生10名山」を、16.17日に町体育協会トレッキング部の皆さんの案内で歩いた。町内の登山道整備などにも協力している同部には約70人が所属。今回は部長の田島芳泰さん(69)、いずれも部員の石井裕さん(69)、桑原完全(さだまさ)さん(75)、横田稔さん(77)に同行していただいた。町で生まれ育ち、越生の山々を知り尽くしている先達だ。

 越生町と飯能市、ときがわ町が接するエリアには、標高500~700メートルの山々が連なり、「越生アルプス」と呼ばれている。16日は、この周辺にある5山を巡った。

 発着点となる黒山の集落には、渋沢栄一のいとこで幕末の飯能戦争に敗れた渋沢平九郎自決の地がある。顔振(かあぶり)峠へ高度を上げていく登山道は、落ち延びていく平九郎がたどったルートだという。桑原さんは幼い頃、近所のおばあさんから聞いた話をしてくれた。「平九郎が新政府軍の兵士2人を斬るのを実際に見たそうです」。古くから生活圏と密接した越生の山には、幕末の動乱の歴史が秘められていた。

 10名山で最初に訪れた顔振峠からは、南西側の眺望が素晴らしい。奥多摩の大岳山、御前山の間には、雪を頂いた富士山が春霞にうっすら浮かぶ。ここからしばらく、奥武蔵林道(グリーンライン)の車道沿いに稜線(りょうせん)歩き。2座目の関八州見晴台も、名前の通り展望が楽しめる。山頂直下の上りはツツジが両側にあって、トンネルのようだ。まだほとんどがつぼみだったが、ヤマツツジやミツバツツジなどが咲く。石井さんは「今年は大型連休あたりが見頃になりそう」と予想する。

 3カ所目の飯盛山は標高795メートルで、越生町の最高点。ここで越生アルプスと別れ、東に下っていくと次の目的地の野末張見晴台だ。関東平野が一望できる。締めくくりは、龍ケ谷のヤマザクラ山。急登の末にたどり着いた桜は散り際で、風が吹くたびに花びらがはらはらと舞った。

 登山口までバス利用の場合、のんびり歩くなら5座を2回に分けるのが良い。

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