大仏様は知っていた? 『東大寺』奈良時代には高さ約70メートルの「七重塔」が存在 上部の巨大「相輪」を支える安定感ある構造

奈良・東大寺。実は奈良時代には巨大な塔が2塔建っていた。今回明らかになったその全貌とは…

奈良市の「東大寺」。「南大門」や「大仏殿」などで知られている。 皆さんも一度は訪れたことがあるのではないだろうか。実はこの場所に伝えられていたある伝説がある。

鎌倉時代に描かれた絵画には寺の中心「大仏殿」を挟むように東西に塔が並び立っている。

そして2015年、東大寺が塔があったとされる場所を初めて発掘したところ、東側の東塔を支える基礎の部分が見つかった。

東大寺の依頼を受けた奈良文化財研究所は、およそ6年をかけてその姿を明らかにしようと研究を続けてきた。

そして今回、明らかにされた姿は、五重塔ならぬ「七重塔」。上部の巨大な「相輪」を支えるため、塔は一般的に知られる姿よりもやや“太った”姿であることが分かった。高さはなんと…

奈良文化財研究所 目黒新悟研究員:東塔・西塔ともに全高が23丈=約70mだったことを明らかにしました。

大仏殿と比べると、その巨大さが分かる。聖武天皇が国の安泰を願って建てたという、国内最大級の塔・東塔は、奈良時代の724年に完成したとみられ、約460年後に焼失。鎌倉時代にはおよそ92mの高さで再建されたが、室町時代に落雷で再び焼け落ちた。

一方、西塔は平安時代に雷で焼けて以降、再建はかなっていない。明治時代から研究されていたという当初の塔の姿に研究員は…

奈良文化財研究所 目黒新悟研究員:東大寺の場合は、相輪に舎利と経典を収めました。相輪に一番信仰・思いを託してあの塔をつくったんだと想う。その結果、相輪の割合が大きな安定感のある七重塔に集結したと思う。

さらに奈良文化財研究所は今回の復元案が現実に建っていられたのかを確認するため、構造の検討も実施。その結果、建設中や完成時に倒壊するとはいえないつくりだと分かり、70メートルの塔が“絵に描いた餅”ではないことが明らかになった。

奈良文化財研究所 目黒新悟研究員:技術はかなり高いものが求められたと思う。文献資料でも、『相輪一つ上げるのに一苦労して、みんなが辞退した』と。かなりの苦労があの塔の建立の中にはあったと思う。聖武天皇が一番力を入れた塔だと思う」

東大寺では2025年度中に東塔の基礎部分の復元を完成させる予定だ。

(関西テレビ「newsランナー」 2024年4月25日放送)

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