『虎に翼』共亜事件のモデル? 昭和初期の日本を揺るがした「帝人事件」を解説

NHK連続テレビ小説『虎に翼』の第17話で、寅子(伊藤沙莉)がよね(土居志央梨)や涼子(桜井ユキ)といった“いつものメンバー”に加えて、法学部で出会った花岡(岩田剛典)や轟(戸塚純貴)らとハイキングに行く日、父の直言(岡部たかし)は突然、仕事があると朝早くから出かけていった。

直言は、帝都銀行に勤めており、そのエリートっぷりは華族である涼子の家、桜川家の執事・岸田(奥田洋平)も認めるほど。おそらく、日本でも有数のいまでいうメガバンクなのだろう。だから直言は、家ではいつもヘラヘラしているが、決して暇ではない。休日出勤をしなければならない時だってあるだろう。でも直言は基本的に人を、特に家族を大事にする人だ。そんな彼が妻のはる(石田ゆり子)との“映画デート”の約束を破ってまでやらなければならなかった仕事とは何だったのだろうか……と思った矢先に、悪い予感はそのままに、直言は逮捕され、大汚職事件「共亜事件」として最悪の事態に発展していく。

戦前の昭和初期の時代、銀行が関わり、寅子が学ぶ法律が大きな役割を果たした出来事のひとつとして思い浮かぶのが「帝人事件」である。この事件は、1934年(昭和9年)に発覚した、銀行の頭取や政治家を巻き込んだ汚職事件だ。1927年(昭和2年)に金融恐慌が起き、ある総合商社が事業を停止した。当時、日本の統治下にあった台湾銀行は、その総合商社の債権の担保として、子会社である帝国人造絹糸という会社(帝人)の株式を22万株ほど所有。その後、帝人が業績をあげたため、財界人で結成されたグループが帝人株を10万~11万株ほど入手した。この大きな取引もあり、市場の株価は高騰。財界グループは大きな利益を得ることになった。

それからしばらく経った1934年、『時事新報』という新聞がある記事を掲載。帝人株を得た財界グループの裏には株取引の口利きをした政治家がおり、それに絡んで贈収賄と銀行を巻き込んでの株不正取引が行われたのではないかというのだ。これにより、政界 ・経済界にわたるスキャンダルを暴き出そうとしたものである。

この記事を発端に、財界グループだけではなく、帝人社長や台湾銀行頭取ら関係者計16人が逮捕・起訴された。起訴された人の中には大蔵省の次官や銀行局長もいたため、政府批判が高まり、当時、斎藤実が首相を務めていた斎藤内閣の総辞職に繋がった。

裁判前に行われる予審過程ではほぼ全員が自白していたが結局、起訴された人たちは裁判で、全員無罪となった。物的証拠の側面からも、犯罪の痕跡は見られず、裁判では16人全員が罪状を否認したのだ。逮捕者の勾留期間は200日に及んだが、その中で検察による、かなり強引な取り調べが行われたと証言する人もおり、それが自白の強要に繋がっていた可能性がある。(※)

これらの背景から、この「帝人事件」は裁判所が公正な判断をし、正義や商習慣を守った象徴的なものとして捉えられることがある。寅子はかつて、法律を盾や傘、毛布にたとえて「弱い人を守るもの」と表現した。「帝人事件」はまさに、法律やそのプロである人たちが、無実の罪を着せられた弱い立場の人たちを守り、盾になった事件と言えるのではないだろうか。現実の世界でもそんなことが起こっていた時に法律を学ぶ寅子たち。改めて、極めて専門的な知識を身につける人たちがいることの重要さを考えずにはいられない。

『虎に翼』ではまだ、女性たちの立場や権利が蔑ろにされていることを見せつけられるような描写がある。その度に、母・はるの「あなたはやっと地獄の入り口に立っただけ」という言葉が頭の中に響いてくる。法律を学んでいる最中である寅子は、時に何もできないという無力感に襲われることもあるだろう。でもそれがいつか糧になる。そう信じてしっかり自分を見失わずに歩んでいってほしい。

参考
※『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p422 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
※ 松浦正孝『「帝人事件」考― 戦前日本における財界の組織化と政界・財界関係―』年報政治学(The annuals of Japanese Political Science Association)日本政治学会編 1995年
※ https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/46/0/46_0_3/_pdf/-char/ja

(文=久保田ひかる)

© 株式会社blueprint