【光る君へ】疫病にかかった紫式部(吉高由里子)を藤原道長(柄本佑)が看病するという“胸キュン” の展開に

大河ドラマ「光る君へ」第15回より ©️NHK

2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。『源氏物語』の作者・紫式部のベールに包まれた生涯を、人気脚本家・大石静がどう描くのか? ここでは、ストーリー展開が楽しみな本ドラマのレビューを隔週でお届けします。今回は、第15回「おごれる者たち」と第16回「華の影」です。

前回はこちら。

右大臣家の栄華の礎を築いた父・藤原兼家(段田安則)がこの世を去り、正暦元(990)年にその父の後を継いで摂政となった藤原道隆(井浦新)率いる中関白家は、瞬く間にその権力をほしいままにしていく。第15回「おごれる者たち」と第16回「華の影」では、そのまばゆいばかりの栄光と、やがてそこにかげりが見えてくる様子が描かれた。

そして、そんな世の中で、「まひろの望んだ世の中にすべく政を行っていく」と決めた藤原道長(柄本佑)と、生活苦と己の道の見えなさとに悩むまひろ(後の紫式部/吉高由里子)は、迷いと焦りを深くしていくのだった。

道隆はいよいよ独裁政治を行っていくが、その裏で腐っていたのが父に見捨てられた次男の藤原道兼(玉置玲央)だ。藤原公任(町田啓太)の屋敷に居座って自暴自棄になり酔いつぶれていた道兼を、道長は迎えに行き、こう諭す。「兄上はもう父の操り人形ではありません。私は兄上にこの世で幸せになっていただきとうございます。兄上は変われます。変わって生き抜いてください。この道長がお支えいたします」

その道長の言葉に思いを改めた道兼は、内裏での務めに復帰することとなる。そして、道隆は道兼に内大臣の地位を与え、翌年には嫡男・藤原伊周(これちか/三浦翔平)と道長を同じ権大納言に任命した。

最初は強大な力を持つ父の下、横並びに見えていた3兄弟だったが、回が進むごとに、それぞれの性格、立場が明確になってきて、このあたりも見どころのひとつだろう。温厚に見えていた長男が独善的になるにつれて、次男、三男も、それぞれの反応を示していく。

道隆はついに昵懇(じっこん)の公卿(くぎょう)たちばかり66人も位を上げた。道隆の妻である高階貴子(板谷由夏)も、娘の中宮・藤原定子(さだこ/高畑充希)の住まい・登華殿(とうかでん)を訪れ、「後宮(こうきゅう)の長」としての自覚を持つよう諭す。「中宮様が輝けば、摂政様の政も輝きますゆえ」。そして、「華やかな後宮」をつくるべく、漢詩や和歌の巧みな、賢く美しい女房を増やすとして、ききょう(後の清少納言/ファーストサマーウイカ)に、女房として定子の話し相手になるように命じる。

その頃、まひろの家では、弟の藤原惟規(のぶのり/高杉真宙)が、難関試験に合格し、擬文章生(ぎもんじょうしょう)となった。一家は喜びに包まれたが、まひろは複雑だ。「不出来だった弟が、この家の頼みの綱となった。男であったらなんて考えても虚しいだけ」

そんな折、ききょうが中宮・定子の女房になることが決まったと報告に来る。またしても、まひろの心には、一人取り残された寂しさが去来する。「私は一歩も前に進んでいない……」

いよいよ、ききょうが登華殿に上がる日が来た。初めて中宮・定子に顔を合わせたききょうは、その高貴な美しさに圧倒される。「清……少納言。今よりそなたを清少納言と呼ぼう」

この定子を演じる高畑充希が、無邪気な少女から気品の備わった中宮に変わっていく様子がみごとで唸ってしまう。その発声、台詞回しまであっという間に「中宮」だ。特にこのききょうを「清少納言」と名づける場面の眼差し、表情など、ゾクッとしてしまうものさえあった。見返すチャンスのある方は、ぜひここに注目して今一度チェックしていただきたい!

大河ドラマ「光る君へ」第15回より ©️NHK

実家に居場所がなく、婿入りの予定もないさわ(野村麻純)は、気晴らしにまひろを誘って石山寺に詣でる。二人は、その石山寺で偶然、藤原兼家の妾であった藤原寧子(やすこ/財前直見)に出会うのだった。

寧子が『蜻蛉(かげろう)日記』の作者と知るや、まひろは興奮、感激して話に熱中する。寧子は妾であるつらさについて「私は日記を書くことで、己の悲しみを救いました」と振り返る。その言葉は、今のまひろの心の奥深くに響くものだった。二人は寧子の息子・道綱(上地雄輔)にも引き会わされる。

その夜、二人が休んでいる局(つぼね)に道綱が忍んできたが、まひろと間違えてさわに近づき、慌てて言い訳をして去っていった。翌朝、傷ついたさわが感情を爆発させてこう言う。「私には才気もなく、殿御を引きつけるほどの見栄えもなく、家とて居場所がなく、もう死んでしまいたい」

そう言って走っていった川辺に、なんとゴロゴロと死体が浮いており、二人は戦慄して立ち尽くす。都の近辺で疫病が流行り始めていたのだった。

第16回のタイトルは「華の影」。都には疫病が蔓延してきて、いよいよそれは政権をも揺るがしていく事態となることが、なんとなく予感されていく。

登華殿は中宮の母・高階貴子が思い描いたような、才能豊かな若い青年たちが集う活気あふれるサロンとなった。年が明けたある日、雪が降った。定子が清少納言にこう尋ねる。「少納言、香炉峰(こうろほう)の雪はいかがであろうか」。すぐに我が意を得たりといった表情になった清少納言は、こう答えるのだった。「御簾(みす)を……。どうぞお近くで」

これは唐の詩人・白居易(はくきょい)が名勝・廬山(ろざん)を詠んだ一節「香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る」を念頭においた定子の問いかけを、清少納言がみごとに受けた『枕草子』でも有名な場面の再現だ。互いに教養があって初めて成り立つやりとりで、その打てば響くような関係を楽しんだ間柄だったということがうかがえるエピソードだ。定子の表情がまたいい。「少納言、みごとであった」

大河ドラマ「光る君へ」第16回より ©️NHK

一方、そんな長閑な光景が繰り広げられる内裏の外では、疫病が蔓延していた。しかし、道長からの度重なる進言も無視して、道隆の関心は、娘の定子が世継ぎを産んで自らの地位を全きものにする以外にない。

ある日、まひろが文字を教えていたたね(竹澤咲子)が訪ねてくる。熱のある両親が悲田院(ひでんいん)に薬草をもらいに行ったまま帰ってこないというのだ。たねに付き添ってまひろが悲田院に向かうと、そこは疫病患者で溢れていた。たねの両親はすでに亡くなり、間もなくたね自身も死んでしまう。

まひろは悲田院に残って、患者の世話をしていたが、そこへ道兼・道長兄弟も視察に訪れる。立ち働くまひろが振り返りざまにぶつかったのは、なんと道長だった。驚いて見つめ合う二人だったが、まひろも疫病に感染していて、そのまま道長の腕の中で倒れてしまう。

ここからの展開がこの回の絶対見逃せないクライマックスである。道長は、まひろを家まで送り届けるなり、看病を始めるのだ。ここはもう、少々古かろうが何だろうが(笑)「胸キュン」という表現以外にないだろうという場面だ。父である藤原為時(岸谷五朗)が、「大納言様にそんな……」と申し訳ながるところを「私のことはよい!」と叱りつけるさまも、ああ素敵すぎるじゃないか。

高熱に浮かされ意識のないまひろに、道長はたびたび話しかける。「久しいのう。なぜ、あそこに居た?」「生まれてきた意味は見つかったのか」。額を冷やし、首を冷やし、必死で看病する道長。しかしまひろの息は荒く、意識は戻らない。焦る道長がたまらず叫ぶ。「逝くな! 戻ってこい!」。道長、カッコよすぎるぞ!

必死の看病の甲斐あって、夜明けとともに、まひろの容態は峠を越したかに見えた。「あとは私どもで看病しますので」という為時の言葉に我に返り、現実に戻った道長は、帰ることにする。別れ際、そっとまひろの手に触れようとするも、ぐっと押し留めて立ち去る場面も切なかった。

朝方、屋敷に戻った道長を妻の源倫子(ともこ/黒木華)が出迎える。そして傍らに立つ女房・赤染衛門(あかぞめえもん/凰稀かなめ)にこう漏らすのだった。「殿の心には、私ではない、明子様(道長のもう一人の妻)でもない、もう一人の誰かがいるわ」。そう、いるの、いるのよ。何とかしてあげてと呼びかけたい気持ちだ。

離れたと思っても、何年も間があっても、巡り会ってしまうのがソウルメイト。これから互いがそれぞれの「生まれてきた意味」を探っていく中で、心の奥底では相手への思いを秘め続けていくのだろう。そして、この情熱がこれから、まひろを稀代の女流作家・紫式部へと導いていく。まひろもまた、書くことで悲しみを救われていくのだ。


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