ペルソナをはぎとった生身の新作をセイント・ヴィンセント本人が語る

2024年4月26日に発売された、セイント・ヴィンセント(St. Vincent)による7作目のスタジオ・アルバム『All Born Screaming』。

このアルバムについて、音楽ライターの新谷洋子さんによる解説をお届けします。

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ペルソナをはぎとった生身の姿

2010年に発表した4作目『St.Vincent』の“近未来の新興宗教の教祖”、2017年の5作目『MASSEDUCTION』の“精神病院に収容されたSM女王”、そして2021年の6作目『Daddy’s Home』の“ジョン・カサヴェテス映画の中のジーナ・ローランズ”という具合に、セイント・ヴィンセント(St.Vincent)ことシンガー・ソングライター兼ギタリストのアニー・クラークは過去10余年ほどの間、アルバムごとに異なるペルソナをまとって我々の前に現れた。

「これまでは毎回ひとつのペルソナを掘り下げたり、神話や図像を取り上げて自ら具現化し、そして最終的にそれを解体するというアイデアに深い関心を抱いていていました」

こう話す彼女は、音楽性もヴィジュアル・イメージもライヴ・パフォーマンスの演出も、それぞれのペルソナに準じて綿密に作り込み、ツアーの終了をもって次に移行。デヴィッド・ボウイにも比較されるカメレオンぶりを印象付けたわけだが、最新作『All Born Screaming』では一転、ペルソナをはぎとった生身の姿をさらけ出している。聴き手から自分を隔てる一切のバリアを取り除くために。

「私はとにかく、自分の心と頭の中にあることを、願わくば可能な限り手付かずの、ナマな状態で歌おうと試みたんです。もちろん過去のアルバムも全て私自身の人生に根差していて、私の人生で起きていたこと、私が興味を持っていたこと、私が感じていたことを題材にしていましたが、今回はプロデューサーとしてもパフォーマーとしてもシンガーとしても、私自身と聴き手の間に距離を生みかねない、不誠実な、もしくは異質な、もしくはアイロニックだと感じられるような要素を排除しようと心掛けました。この星の上で過ごせる時間がほんの僅かしか残っていないことを思い知らされた以上、何かしら切迫感を湛えた作品を作らねばならないと感じて、そんな選択をしたんです」

アニーがそう語るのには理由がある。詳しいことは明かしていないが、ここ数年間に自分にとって近しい人たちを相次いで亡くし、悲しみに打ちひしがれていたことから、彼女は「哀悼の想いや喪失感や嘆きを託すようにしてアルバム制作に臨んだ」と振り返る。

初の全編自己プロデュース

そして、これまでの作品でもジョン・コングルトンやジャック・アントノフと組んで共同でプロダクションに携わっていたアニーは、ギター以外にも多くのパートを自ら演奏し、キャリアで初めて全編でセルフ・プロデュースに挑んだ。

「なんとかして頭の中で鳴っているサウンドをアルバムに再現しなければならないということ、自分自身がプロデュースしてそれを遂行しなければならないということを、私は最初から認識していました。さもなくば、自分が思い描いているイメージを他人に絵にしてもらうようなものですから、そういうやり方は成立しません」

もっとも、長期間にわたってスタジオに籠もり、あらゆる決断を独りで下し、自分を追い詰めるようにして「頭の中で鳴っているサウンド」を正確に表現する作業には、途方もない労力を要したとも彼女は言う。

「これまでよりハードだったことは間違いないですね(笑)。一番ハードだったのは、“良くできましたね”とか“そこはうまくいったので次に進んでいいですよ”とか、私の頭を撫でてくれる人が誰もいなかったことですが、やってみる価値はあったと思います。時には、自分の能力の限界を知るために火の中を歩くことも必要ですから」

参加ミュージシャン、そしてデイヴ・グロール

必要に応じて火の中を共に歩いてもらうために集めたミュージシャンたちも、ジャスティン・メルダル・ジョンセン(ベースほか)、マーク・ジュリアナ(ドラムス)、シンガー・ソングライターでもあるレイチェル・エクロス(キーボード)とケイト・ル・ボン(ベース、プロダクション)、テイラー・ホーキンスの死を受けてフー・ファイターズに加わったジョシュ・フリース(ドラムス)、ウォーペイントのステラ・モグザワ(ドラムス)といった具合に辣腕揃いだ。

このうちジャスティンと、共にジャズ畑のレイチェル及びマークは『Daddy’s Home』に伴うツアーのバンド・メンバーだったが、以上の面々にも増して早くから注目を集めていたのはやはり、「Broken Man」と「Flea」に参加したデイヴ・グロールである。

9歳の時にニルヴァーナを知り、「私が音楽をプレイする理由は彼らにある」と言い切るアニーは、ご存知のようにニルヴァーナが2014年にロックの殿堂入りを果たした際のパフォーマンスで、カート・コベインの代わりにシンガーを務めている。

「デイヴは途方もないパワーと独特のサウンドを曲に与えてくれました。一音耳にしただけで、誰のドラムなのか気付きますよね。でも彼は同時に、曲を引き立てることを重視して叩いているんです。偉大なソングライターであるがゆえに、どうすれば曲に何かをプラスできるのか分かる。“俺のドラミングはすごいだろ!”と見せびらかすのではなく。これは非常に重要な点で、ああいう音楽的才覚は教わって身に付くものではなくて、持って生まれたもの。私はデイヴに“Flea”の音源を送って、ドラムを叩いてもらえないかと打診し、“この曲から聞こえるドラムを叩けるのはあなただけです”と伝えました。そうしたらスタジオに来てくれて、確かスタジオに来る道中、車の中で4回ほど聴いただけだったにもかかわらず、このプログレっぽい曲を一発で完璧にプレイしてくれた。彼は史上最強のドラマーのひとりであり、大局を見据えているからこそ、私のヴィジョンを補完してくれるんです」

様々なサウンドのアルバム

またペルソナを排除したため、本作には一貫した音楽的枠組みもない。リヴァーブの海で波打っている冒頭の「Hell is Near」、アニーのギターからかつてないアグレッションを引き出しているグランジーな「Broken Man」、インダストリアル・ロックの猛々しさを伴う「Reckless」、ディストーションの限りを尽くした「Flea」、アヴァン・エレクトロ・ファンクと呼びたい「Big Time Nothing」などなど、どの曲も個が際立ち、喪失感、破壊的な欲望、自己に向けられた激しい嫌悪と拒絶・否定といったテーマを不穏なサウンドが裏打ちする。「プロデューサーとしてアルバムを構成するあらゆるサウンドを極めて意図的に鳴らし、曲の意味に直結させた」と彼女が説明する通りに。

しかし、シネマティックなエレガンスを誇る6曲目「Violent Times」を境にアルバムが後半に入ると、徐々に光が差し込み、足取りは軽くなっていく。

ディストピアンな物語を示唆する「Power‘s Out」のワルツ仕立てのエレジーから、亡くなったSOPHIEへのオマージュを含んだ「Sweetest Fruit」のパーカッシヴなエキゾチカ・ポップ、自分の居場所を探し求める「So Many Planets」ジャマイカン・テイストのサイケデリアへと、アニーは愛すること、超越すること、受け入れることをより明るい色彩と軽快なリズムで描出。

本作が擁するこのような大胆なコントラストを彼女はヒエロニマス・ボスの著名な絵画『快楽の園』が描く「地獄~地上の世界~楽園」のサイクルに譬え、フィナーレの表題曲では生きることの闇と光、苦しみと喜びをあまねく肯定して締め括るのだ。

「この世界で暮らす人間として私たち全員に共通しているのは、生きることが様々な異なる側面を網羅しているという点。それは苦しみであり、美であり、残虐さであり、ロマンスであり、全てが同時に進行しています。どれも生きることの一部分なのですが、そういう風に物事がクリアに見える場所に到達するには、ガラスの破片の上を這いつくばって進まなければならないこともある。そこに辿り着けば、“そうか、私たちには愛しかないんだ。愛は何よりも大切で、人生を捧げるに値する唯一のものなんだ”と悟ることができます。私たちはなんとかしてそこに行かなければならない。でも道は誰も教えてはくれません。人生を生きて体験を積むことによって、初めて辿り着けるんです」

Written By 新谷洋子

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