「人生において経験したことのなかった90分間」ABBAのアバター・コンサート体験記

2022年5月27日からロンドンのクイーン・エリザベス・オリンピック・パークに新設されたABBAアリーナで行われているABBAのアバター・コンサート“ABBA Voyage”。生演奏に合わせて、往年のABBAの4人が本物の人間と見間違うようなクオリティのホログラムで登場するこのコンサートは、スタート以来ほぼ毎週7回公演を続けており、好評に次ぐ好評を受け、現在は2025年1月まで公演が延長されている。

このコンサートを現地で“体験”してきた音楽評論家の増田勇一さんに寄稿いただきました。

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至れり尽くせりの最寄り駅や会場

去る3月22日、ロンドンで『ABBA Voyage』を観た。いや、体験した、と言うべきかもしれない。これは最新鋭のモーション・キャプチャー・テクノロジーによるヴァーチャル・コンサートで、ロンドン西部のクイーン・エリザベス・パーク近くに設営された専用会場で2022年5月から継続的に上演されてきたもの。すでに初演から2年近くが経過しつつあるわけだが、公開当初からの賞賛の声は今現在も途絶えることなく、週に5日間(しかも土日は昼夜の2回開催)のペースで公演が続けられている。

実際に会場を訪れた際に、まず、まずその至れり尽くせり感に驚かされた。最寄りにあたるプディング・ミル・レーン駅に降り立ったのは今回が初めてだったが、なんと改札を出ると駅構内に『ABBA Voyage』のボックスオフィス兼マーチャンダイズ販売所が設けられていて、しかも道路を1本隔てただけの至近距離に巨大なABBAのネオンサインを掲げたアリーナがたたずんでいる。

つまり、この駅に辿り着けさえすれば重度の方向音痴だろうと道に迷うことなく専用会場であるABBAアリーナに到着できるし、当日券が残されているならばその場で入場手配が可能。しかもショップ内に並んでいる商品がポップで魅力的なものばかりで、ショウを観る以前から物欲を刺激せずにおかない。

早くも高揚気味の気分で会場内に足を踏み入れてみると、広々としたロビーには楽しむ気満々の老若男女がいっぱい。筆者と同様に70年代のABBAを原体験しているものと思しき人たちばかりではなく、その子、孫の世代までもが混在していた。しかもABBAの往年のステージ衣装を思わせる服装でコスプレしているチームもいれば、いわゆるヒカリモノを身につけた人たち、フォーマルにドレスアップした人たちも目につく。

とはいえ、そこでTシャツにジーンズ姿の筆者が過度に浮くこともなく、前夜にロンドン公演が行なわれていたジューダス・プリーストのTシャツ着用者の姿もみられた。そうした人たちが開演前のひとときを、飲食や買い物をしながら楽しんでいるのだ。ワインやシャンパンをボトル単位で次々と空けていくグループも少なくない。ちなみに国内外を問わず瓶や缶の持ち込みを禁じている会場は多いが、こちらで販売されているワインなどのボトルやグラスはすべてプラスティック製。また、軽食にはヴィーガン・メニューも用意されていた。

完璧に噛み合った生のショウと没入感

そして、至れり尽くせりなのはショウがスタートしてからも当然ながら同じことだった。約90分間にわたるそのパフォーマンスの主人公たちは、すでに全員70代になっている今現在のABBAではなく、若き日の4人の姿をしたアバターたち。しかしそのたたずまいは本当にリアルで、生身の人間にしか見えないほどだし、演奏は10人編成の生バンドによって繰り広げられている。

そんな大所帯で演奏されるのは、ABBAの熱心なファンでなくともかならず触れたことがあるようなヒット曲ばかり。しかもさすがに専用会場で開催されているだけあり、このスペシャルなショウのために考え抜かれた照明や映像、特殊効果、音響といった要素すべてが完璧に噛み合っているのだ。

Photo by Johan Persson

ABBAアリーナは3,000人収容規模で、フロアとスタンド席が扇状に広がる場内のどこからでもステージを見渡しやすい構造。アリーナのフロアは過度に観客が密集しているわけではなく、ダンスフロアとしての必要充分な余裕が保たれている。

僕自身はステージ正面のスタンド席から観覧していたが、そこで味わったのは、いわゆるロック・コンサートともミュージカルともライヴ映画とも異なった感触だった。なにしろ場内全体を用いながら演出が繰り広げられ、音響もすこぶる良好であるため(観覧後に当サイトの過去の記事を調べてみたところ、場内の至る所に291台ものスピーカー、500台を超えるムービング・ライトが設置されているのだとか)、没入感が半端ではないのだ。本稿の冒頭で「体験した」と記述したのもそのためで、まさにこれまでの人生において経験したことのなかった90分間を過ごさせてもらったと言っていい。

Photo by Johan Persson

他に類をみないコンサート

この『ABBA Voyage』の人気ぶりは現地でも当たり前のように浸透している。実際、ロンドン滞在中はほぼすべての地下鉄駅構内でその広告を目にしたものだし、街のシンボルのひとつといえる二階建てバスの車体にもそれがよく見られた。そして、そこに躍っていた「A CONCERT LIKE NO OTHER(他に類をみないコンサート)」という宣伝文句には嘘も誇張もないと感じさせられた。

こうした興行を可能にしている最大の要因が、ABBAという存在とその音楽のポピュラリティの高さにあることは疑う余地もない。今年はこのグループにとって最初の象徴的なヒット曲となった「Waterloo」のリリースからちょうど50年を経ている。

この曲が『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』でグランプリの栄冠を獲得し、ABBAの存在を世界に知らしめたのが1974年のこと。近年では同コンテストからマネスキンが世界に羽ばたいたことも記憶に新しいが、その際も往年のABBAの成功を想い出した人たちは少なくなかったことだろう。

そしてABBAはそれ以降、さまざまな嗜好の音楽ファンを振り向かせる魅力的な楽曲で高い支持を集め続けてきた。もちろんその歴史に一度はピリオドが打たれたわけだが、2021年には実に40年ぶりとなるオリジナル・アルバム『Voyage』がリリースされている。同作は、タイムマシーンに乗って過去に帰還を果たすような性質のものではなく、現代のABBAに似つかわしい、ごく自然な成熟感を伴う味わい深い作品だったが、ステージ・ショウとしての『ABBA Voyage』は、観る者をまさに時空を超えた旅へと誘ってくれるものだった。

Photo by Johan Persson

 

ABBAの次はKISS

最近では、ツアー活動終了を宣言したKISSがアバターを用いたショウの実現に向けて準備を進めていることを公表しており、しかもカタログの出版権のみならずロゴなどの知的財産権をスウェーデンのポップハウス・エンターテインメントに売却したことが報じられている。

同社はABBAのビョルン・ウルヴァースが共同設立者として名を連ねる投資会社だ。そうした事実からもABBAのノウハウがKISSの今後に応用されていくことが予測されるし、彼らの今後についても期待感が膨らんでくるところだが、それを楽しみにしている人たちにも、できることならばこの『ABBA Voyage』に先に触れてみて欲しいと今の僕自身は感じてしまう。ロンドンでの一夜はそれほどに素晴らしいものだったし、また同地に赴く機会が巡ってきた時に、この公演がロングランを続けていることを願わずにいられない。

そしてもうひとつ感じたのは、季節を問わず世界各地から観光や商用で訪れる人の絶えないロンドンだからこそ、この公演がこうした形で継続できている部分もあるはずだということ。ここ日本でも海外からの来訪者の増加傾向が続いているが、「日本に行かないと観られないショウ」というのも渡航目的になり得るはずだし、『ABBA Voyage』にはそうした意味でのヒントも含まれているように感じられた。もちろん、『ABBA Voyage』があのままの形で、いつか日本で開催されたりすることになれば(余談ながらABBAアリーナは解体や移動がしやすい構造がとられているらしい)、それもまた最高なのだが。

Written & Photo By 増田勇一

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