コザ高生自死を考える 後編「他県の取り組み 伏せられた死の詳細 学校はどう再生したのか」

3年前、県立コザ高校で空手部の主将を務めていた男子生徒が自殺した問題。何が彼を死へと追い込んだのか。そして、重大な問題が起きた時、学校はどう向き合うべきか。前編・後編に分けてお伝えします。

人口およそ2万人が住む、大分県南西部の竹田市。その中心部にある大分県立竹田高校で、2009年、悲劇が起こりました。

遺族 工藤奈美さん
「朝起きて、いないことにすごく愕然として、涙が朝からあふれてっていう、そういうことは14年経つとそこまではないんですけど、だけど、14年もあの子に会ってないなあって思う時もありますしね」

高校2年生のとき、17歳で亡くなった工藤剣太さん。真夏に行われた剣道部の厳しい稽古中に、熱中症にかかりました。

意識がもうろうとし倒れた剣太さんに対し、当時の顧問は「これは演技だ」と言い放ち往復ビンタを繰り返したと言います。熱中症の状態で放置された剣太さんは、熱射病(重い熱中症)で死亡しました。

学校の集会で話す母・奈美さん
「(顧問から)ビンタを10発ほどされたそうです」

学校の集会で話す父・英士さん
「何のための部活なんですか、人を殺すための部活なんですか」

当初、稽古中の「顧問による暴力」を否定した学校側。両親は、当時の顧問や副顧問、市や県を相手に裁判を起こし闘い続けました。

母・奈美さん
「傷だらけになった夫婦なんですけど、傷だらけになった自分たちだから、私たちはどれだけ矢を受けてもいいからこれ以上後ろにこの矢を通さないようにって気持ちで夫婦でやってきましたね」

剣太さんが亡くなって、まもなく15年が経ちます。息子を亡くした直後の学校との関係を父・英士さんはこう振り返りました。

父・英士さん
「学校自体は恨んでいない全く、剣太が学校好きだったから。だから当事者(元顧問)ですよね。うん、それとその当時の管理職の対応の仕方…。これはもう事故処理ばかり、私たちに全く寄り添ってもらえないし…」

校舎から離れた剣道場という密室で起こった剣太さんの死。当時、死の詳細は現場の教員にも伏せられ、情報は管理職のみに集約されていました。

大分県立竹田高校 合澤哲郎校長(2023年取材当時)
「学校現場というのは情報の一本化、特に対メディアなどそういうところに関しては教頭先生を窓口に、というのが常でしたので」

管理職の立場としてこう語った合澤哲郎さん。剣太さんが亡くなった当時、現場の教諭という立場で竹田高校に務めていた合澤さんは、当時の学校には不信感が漂っていたと振り返ります。

大分県立竹田高校 合澤哲郎 校長(2023年取材当時)
「いろんな噂は入るんですよね。どこまでが真実なのかというところに関して、正しいのか誤った情報なのか確認することは難しい。そういうところで不満を持つ、ちゃんと教えてくれという先生方も多かったですよね」

剣太さんが亡くなって3年後、2012年に竹田高校の校長に着任した藤原崇能さんにも話を伺うことができました。

大分県立竹田高校 元校長 藤原崇能 さん
「みんなが不幸だと思いました。要するに工藤さんも悲しみの上に不信感で、生徒は、その事件のことが不安だし知りたいし、だけど(誰も)語ってくれない。きちんとそこは子どもに言えるってことが重要で、先生方もそれを子どもたちに伝えられることが、先生たちが精神的にも気持ちよく勤務できる条件の1つだと私は考えました」

生徒の命を守るため

藤原さんは校長として、ある提案をしました。

剣太さんの死から3年を経た2012年8月22日。まだ裁判が続く中で、学校は剣太さんの命日を「健康・安全の日」と制定。

尊い命が失われたことを「我が事」としてとらえるため毎年集会を実施し、熱中症を想定した緊急対応訓練などを行っています。

大分県立竹田高校 元校長 藤原崇能 さん
「無念にも亡くなったご本人の霊を慰め続けることは、学校の責任だと思いました。健康・安全の日の1番大きな意味は、1つの意思表明の日だと。生徒の健康安全を守る、最優先だという姿勢を全校に向かって表明する」

校長として毎年この日を迎えていた合澤さんは、自問自答を繰り返してきました。

大分県立竹田高校 合澤哲郎校長(2023年取材当時)
「(当時)剣道場にいたら、剣太くんの様子がおかしいというのは絶対気づいたと思うんです。ただその時に自分よりも剣道の経験があって、しかも興奮している顧問を制止して、『これはおかしい』『救急車呼びましょう』と言えたかと常に考えるんです。でも、それをそのままにしていたら、結局同じことになってしまう。行動を起こさなければ命は救えないと私も今思っているんですよね」

生徒の命を守る。その安全対策を徹底する竹田高校。

母・奈美さん
「今だったら剣太は死んでいないとすごく感じています。どう学校側が捉えて、どう変わっていくのかだと思うんですよね。子どもたちの尊い命を守るように、今周りが動いてくれているよ。あなたが17年生きてきて命を落としてしまったけど、それは決して私たちは無駄にはしたくなかったし、無駄になっていないと信じているので、お父さんとお母さんが動ける間は、剣ちゃんもう少し一緒に頑張ろうねと」

我が子を失った悲しみが消えることはありません。しかし同じ悲劇を繰り返さない、その強い思いは着実に実を結んでいます。

********************* 取材後記 下地麗子
学校で起こる事件事故について、全国で講演活動を行う母・奈美さんは、「今の竹田高校は大分県で一番安全な学校」だと参加者たちに語るそうです。問題が起きると、学校組織はそれをタブー視し閉鎖的になりがちです。良識ある教員たちの口は閉ざされ、物言わぬ不安が広がり、それは生徒たちにも伝わっていきます。

2012年、竹田高校の校長着任当時、「みんなが不幸だ」と感じた藤原崇能さん。
同年に「健康・安全の日」を制定したときは、遺族と行政などとの間でまだ裁判が行われていましたが、この日を設けることに迷いはなかったそうです。学校が「問題に向き合う」と覚悟し表明したことで、教員や生徒たちは、問題について意見が言いやすい風通しの良い環境になったのではないでしょうか。

竹田高校の取材をしながら、何度も沖縄のコザ高校と、その時々の状況を重ねました。竹田高校の当時の教員や生徒たちが苦しんだように、同様の不安がコザ高校にも広がっていたのではないか…。

コザ高校の男子生徒が自死して3年が経ちます。コザ高校からは、いまだ再発防止に向けた具体的な動きは見えてきません。男子生徒の遺族は、学校側に対し二度と同じ悲劇を起こさないよう再発防止に向けた取り組みを求めています。

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