動く紙人形作家・わす「シンプルな構造のPEPAKOへの精密なこだわり」

“ペーパーパペットの子”としてSNSで話題を呼んだPEPAKO。紙人形作家「わす」のもとには、その高いものづくりスキルとイラスト技術から、多数の企業からオファーが届いている。独立して5年が経ち、X(旧Twitter)のフォロワーも38万人を超えるなど活躍の幅を広げているわすさんに、PEPAKO制作へのこだわりや、好きなことを続けていく楽しさをインタビューで聞いた。

ものづくりへの情熱を加速させた高校時代の部活

まるで生きているかのような動きをするのが魅力のPEPAKOは、どのようにして作られたのだろうか。イラストデザインや動きを含め、PEPAKOのすべてを一人で開発した、わすさんの幼少期に興味が湧いた。

▲実際に持参してもらったPEPAKO

「小さな頃から絵を描くのが好きで、虫の図鑑を模写したり、家の近所でカブトムシを捕まえて遊んだりもしてました。友達からも絵を見せるたびに褒められていたので、それがうれしくて描いていたのをよく覚えています。ものづくりも大好きで、竹とんぼとか竹刀を自分で作って遊んでいました(笑)。小学生の頃から自分で棚も作っていましたし、周りの子よりも手を動かすのが好きだったと思います」

予想通り幼少期から手先が器用だったようだが、高校時代の部活動についてはさらに面白いエピソードが聞けた。

「ものづくりが好きなこともあって、工業高校に入学したんです。そこでは、名前のない部活に入っていました。説明をするなら、電気の配線技術を競う大会に出るための部活なのですが、本当に名前がなかったんです。部活動一覧にもなくて、ある日突然、勧誘を受けて入部が決定しました(笑)。

その部活は意外にも体育会系で、毎日のように怒られてました。1~2年生の頃は先輩のサポートに徹しており、ようやく3年生になってから大会の出場権を獲得できたんです。どうやら工業高校ではメジャーな部活動だったらしく、全国からライバルたちが集まっているのが印象的でした。毎日のように練習を続けたおかげか、その年の大会では全国優勝しました」

電気の配線技術を競う、という大会。イメージができない取材陣に、部屋のなかを動き回りながら、この壁の中にも配線が埋まってるんですけど、それをキレイにつなげて……と説明してくれたが、文字では説明が難しいので割愛させていただく。そして、わすの人生をさらに追った。

「全国優勝をしたことをきっかけに、電工系の企業から入社のスカウトを受けました。でも、やりきった感がすごくて断ってしまったんです。結局、高校卒業後は製鉄所で電気系統の保守をする会社に入りました。

それからしばらくして、会社が統合した影響もあって、現場監督の業務を担当することになり、自分で手を動かす仕事ができなくなってしまったんです……。施工者への指示や現場調整が主な仕事で、ときには年上の人を指導したりしなくてはならず、板挟みのような立ち位置で自分には向いていないと思いました」

PEPAKOの反響とともに変わっていく人生

好きだった仕事がストレスの原因となり、悩む日々が続いた。そんなわすさんを救ったのが、仕事が終わってからの“好きなことをする時間”だった。

「SNSでPEPAKOが評価され、独立を考えるようになりました。会社員として働きながらも、X(当時はTwitter)にイラストを描いてはアップする日々を送ってました。そこで発表したPEPAKOが予想を越えた反響で、“今まで見たことがない珍しい技術”“バーチャルの世界の動きをリアルで表現している”などと多くの声をもらえたんです」

PEPAKOは2018年に話題となり、独立したのは2019年だ。

「PEPAKOをきっかけに有償の制作依頼が来て、だんだんと案件が増えてきたこともあり、独立する決意を固めました。会社には“辞めてどうするんだ!”と怒られましたが、PEPAKOを作っているときの楽しさが勝り、フリーランス人生をスタートさせました。独立の準備に1年かけていたので、退職してからすぐに仕事がたくさんあったのは、経済的にも精神的にも助かりました」

独立のきっかけとなったPEPAKOは、どのようにして思いついたのだろうか。

「初めはイラストを切り取って、風景のなかに置いて写真を撮っていたんです。続けているうちに、このイラストが動いたら面白いのでは? そう思ったのがPEPAKOの原点ですね。ただ動けばいいのではなく、どうせなら人間みたいな動きをさせたいと思い、人形を振ったら関節に合わせて体が揺れるイメージで制作を開始しました。

試行錯誤をする過程で、イラストの裏側に付けた針金を自分で操作し、紙人形のように動かす方法を思いつきました。関節の部分については研究を重ねて、作っては動かしてを繰り返して、ひたすら調整してプロトタイプまでたどり着いたので、すごく愛着がありますね」

PEPAKOは、シンプルな構造でありながら、複雑な動きができるのが斬新だ。しかも、設計図などには起さずに、頭の中で考えて手を動かして作り上げていった。どのようなこだわりをもってPEPAKOを作っているのかについて聞くと、こう語ってくれた。

「動きをつけても、1枚のイラストに見えることにはこだわっていました。具体的には、動きを制御する裏側の針金の存在感を消し、あやつり人形のような感覚にさせない仕組みづくりをしています。また、関節の曲がり具合や瞼の閉じ方など、人間や動物のリアルな動きと同じにすることを意識しました」

PEPAKO構想から正式発表まで、約3年かかったと語る。ものづくり全体において、大切にしている考え方があるという。

「PEPAKOの制作を始めたときから、1回きりの作品は作らないと決めていました。二度と生み出せないその場かぎりの作品ではなく、絶対に量産できるものを作ると決めていたんです。今では多くの種類があるPEPAKOも、紙・針金・テープの3種類だけあれば全て作れるようにしています。

PEPAKOの作り方はパターン化して、シンプルさ意識しています。言ってしまえば、100円ショップで買えるもので作れます。自分だけが作れるものではなく、誰にでも作れるようにする。作品というよりも、製品といったほうが近いかもしれません、パーツがすでに完成品なんです」

▲目の動きによって表情が変わるのも特徴 X(旧Twitter)より

こだわりが詰まった自作の品が他にもあった!

わすさんのポリシーに沿った作品の一つとして、最近制作したものを目の前で組み立ててくれた。

▲背中に背負っていたリュックから出てきた黄色い箱

▲慣れた手つきで部品を組み立てていくと…

▲あっという間に天体望遠鏡が完成した!

▲銃のサイトも付いていたりと、見ているだけでワクワクが止まらない!

黄色い箱の中には、さまざまなパーツが収められており、それらを慣れた手つきで組み上げていったものの正体は、オリジナルの天体望遠鏡だった。

「前から星に興味があったんですけど、市販の天体望遠鏡だと、大きくて自分の車に入らないんですよ。それに市販の望遠鏡で自分がほしいと思うものがなかったんです。それなら、現場で組み立てられるものを自分で作ってしまおうと思ったんです。

量産ができるコンセプトは崩さず、レンズや精密部品以外はホームセンターの材料だけで作れる設計にしました。車やバイクの後ろに積んで公園に行って、正座して星を眺めてます。自分の好きなデザインにもできたので、作っていて楽しかったです」

紙人形ではなく自分を評価してもらえることが増えた

独立してから5年が経ち、2022~23年のあいだにPEPAKOの制作本を2冊刊行した。活動の幅を広めていくなかで、最近印象に残った仕事を聞いた。

「3Dのキャラクターモデリングにも興味があり、最近はメタバースイベントのグッズイラストを担当しました。バーチャルとリアルの世界両方にブースが用意される大規模イベントで、渋谷と原宿に自分のイラストが飾ってあるのを見たときはうれしかったです。

これまでは、PEPAKOの仕組みが珍しいから、自分は評価されているんだと思っていました。でも、最近はイラストのみを起用したいと言ってくれる企業が増えたんです。紙人形の発想以外でもクリエイターとして評価され始めたのは、今後活動していくうえで自信につながりました」

わすさんに「好きなことを仕事にする」ことについて聞いた。

「好きなことをやっていると、仕事の質が上がると強く思いました。会社員として働いていた頃、やりたくない仕事をしていたときは、良い仕事ができなかったんですよね。今は仕事にやりがいを感じつつ、こだわりをもって働けているので、この道を選んで良かったと思っています。

もちろん、作品をうまく表現できずに苦しむこともあれば、心無いメッセージをもらってイヤな気分になることもあります。そのときは、いつもマイナスな気持ちを原動力にすることで作品づくりに役立てています。“ツラいことの先には良いことがある”という精神でいれば、好きな気持ちを絶やさずに日々を過ごせるのではないでしょうか」

最後に、今後の目標を聞いた。

「これからも皆さんが面白いと思えるような作品を作り続けていきたいです。たとえば、PEPAKOは現在ショートムービーのみなのですが、長編動画を作ってみたい。PEPAKOの表現がさらに増えて楽しくなると思っています。とにかく、これからもずっと“こだわり”をもって作品を作り続けていきたいです」

(取材:川上 良樹)


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