能登半島地震でライフラインが寸断されたグループホーム 約3カ月にわたって集団避難し故郷へ戻るも新たな課題

能登半島地震でライフラインが寸断した輪島市のグループホームは、入居者と職員が一緒にかほく市へ集団避難した。約3カ月が経ち輪島市に戻ったが課題は山積みだ。福祉施設の現状を取材した。

ライフライン寸断した輪島市のグループホーム 集団避難を決意した理由

輪島市のグループホーム「ひなたぼっこ」

能登半島地震で建物に幸い大きな被害はなかったが、ライフラインが寸断されたため、1月23日にかほく市の施設へ職員とともに集団避難した。ひなたぼっこの高橋美奈子副所長は「今までと同じメンバーなので、その点みんな落ち着いているし安心して過ごせる。」とその決断理由を明かす。

ここで暮らす入居者は18人。毎日3、4人のボランティアの力を借りながら約3カ月を過ごしてきた。顔なじみのメンバー。しかし環境は輪島とは違う。慣れない生活が続くため高橋副所長はある変化を感じていた。

高橋美奈子副所長:
「ここに来てから、ちょっと認知症進んだな。ちょっと拘縮すすんだなという利用者はいます」

輪島の施設の断水が解消されたと聞き、4月19日にふるさとへ戻ると決断した。

約3カ月ぶりにふるさと輪島へ…102歳の入居者に笑顔

「おかえりー」職員の元気な声が響き渡る。
福祉車両5台が到着したのは輪島市山本町(やまもとまち)にあるグループホーム「ひなたぼっこ」だ。集団避難してから約3カ月。久しぶりに戻る「我が家」だ。

職員:
「輪島に戻ってきたんだよ」
入居者のひとり東山チノさん102歳:
「良いですね」
102歳の入居者にも笑顔が戻る。慣れ親しんだ土地に戻るだけで大きな安心感があるのだろう。

高齢化率5割を超える奥能登で暮らすための課題

しかし、職員やスタッフも被災者のひとり。
地震前に20人いた職員やスタッフは市外へ2次避難を余儀なくされていて、この日は9人の職員とボランティア6人で対応にあたった。人手は全く足りていない。

ひなたぼっこ高橋美奈子副所長:
「帰って来たと言っても、まだまだこれからが大変。職員も大変な状況は続いているので、どうやったら皆さんが日常に近い形の暮らしができるのか。避難所などで症状が悪くなった人たちのフォローをどうしていくかなど課題は多い」

高齢化率が5割を超える奥能登。国や県は「復旧・復興」を声高に叫んでいるが、過疎高齢化が進むこの地域では、こうした福祉施設の受け皿が十分に確保できなければ、生活をしていくことすらままならない。復旧への一歩すら踏み出せないのが実情だ。

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