中華航空機墜落事故から30年 12歳で父を失った男性「30年たった今も航空機に乗ることができない」

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慰霊の日 遺族らが追悼「もう30年」「事故が無いようにしてほしい」 空の安全を祈る

名古屋空港で発生し、264人が犠牲となった中華航空機墜落事故から4月26日で30年。空港に隣接する慰霊施設で献花が行われました。

名古屋空港に隣接する「やすらぎの園」。慰霊の日の26日、遺族らが犠牲者を追悼し、空の安全を祈りました。

父親を亡くした磯田昭彦さん:
「もう30年も経ったのかという思い。”みんな元気にやっているよ“と伝えに来ました」

母親を亡くした岡田智子さん:
「つい先日も自衛隊機のヘリコプターの事故があったりして、飛行機の事故がある度に思い出してしまう。どんどん技術は発展しているが、まだまだ気を付けて本当に事故がないようにしほしい」

1994年4月26日、台湾発の中華航空140便が名古屋空港で着陸に失敗して墜落炎上。乗客、乗員合わせて264人が亡くなりました。国内の航空機事故としては1985年に起きた日航ジャンボ機の墜落事故に次ぐ大惨事でした。

父は出張先からの帰国フライトで犠牲に「4月、5月は気持ち的にぐちゃっとする」

高木祥行さんと父・育文さん 45歳で帰らぬ人に

高木祥行さん42歳。愛知県日進市で障害者施設を経営しています。30年前に墜落事故で家族を亡くした1人です。

高木祥行さん:
「(墜落事故の)次の日の朝に、家に来ていた叔父さんから”お父さん駄目だったみたい”というのを聞いて」

高木さんの父、育文さん。名古屋市で商社を経営していた育文さんは30年前、出張で台湾へ。帰国のために中華航空140便に乗っていて、45歳で帰らぬ人となりました。高木さんが12歳の時でした。

高木さんは、父親を失った当時の悲しみがよみがえるため、30年たった今でも航空機に乗る事ができないと言います。

高木祥行さん:
「4月、5月は不安定というか、気持ち的にぐちゃっとする。父親が飛行機のせいで奪われたと感じてて、やっぱり好きではないですね」

悲惨な事故が二度と起きないように… 高木さんは中華航空140便の墜落事故を風化させてはならないと訴えます。

高木祥行さん:
「もう30年…という感じですね。飛行機で命を奪われたというか、やっぱりそういう風に僕は感じてしまうので、飛行機、航空会社に関わる人は安全に気を付けて、そういう(事故)が起こらないようにしてほしいと僕は思います」

※高木祥行さんの「高」は「はしご高」

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