ニコンF2 アイレベル[ニコンの系譜] Vol.14

長寿命だったニコンF

フォトミックシステムの効果もあって、ニコンFは15年もの間生産され、当時としては驚くほど長寿命のカメラとなった。1960年代は一眼レフに露出計が内蔵されTTLになり、次々と新しい技術が登場したので通常だと2~3年ごとに新製品が出るような状況だったのが、フォトミックファインダーのみを新しくすることで乗り切ってきたのだ。

しかし、はじめの頃こそ、最先端の技術を駆使したものであったボディのメカも、年を経るにつれてだんだん古ぼけてきてしまい、古い故の使いにくさが目立ってきた。そこでニコンFの良いところは継承しつつ、時代に合わせてアップデートして1971年に登場したのが、ニコンF2だったのである。

Aカメラ

ニコンFの後継機の開発は、1965年にスタートしている。ニコマートFTが発売された年だ。開発のコードネームは「Aカメラ」だった。おそらく、ニコマートの開発を通じて、ニコンFの使いづらい点が開発陣にも意識されてきた結果なのだろう。だが、ニコンFはまだまだ好調を続けていたので、すぐにモデルチェンジに移行することはなかった。

当時、ニコンFの改良すべき主な点としては以下のようなものがあった。

  • A.シャッターボタンの位置:バルナックライカのようにカメラ背面に近い位置にあるので押しづらい。
  • B.裏蓋着脱式のフィルム装填:撮影現場でのフィルム交換時、裏蓋の置き場所に困る。
  • C.長焦点レンズでミラー切れを起こす。
  • D.フィルム巻き上げ前後でファインダー像の焦点位置が動く。
  • E.ミラーアップ時にフィルムが1枚ムダになる。

これらの項目を一つ一つ改良し、機械制御のシャッターを用いた一眼レフの完成形としたのがニコンF2だったのだ。

シャッターの改良

ニコンF2のフォーカルプレーンシャッターは、3軸のドラム型というところはニコンFのそれを継承しているが、幕速は大幅にアップし、最高速は1/1000秒から1/2000秒に高速化された。

シャッター最高速は1/2000秒になり、シンクロ同調速度は1/80と高速化された。シャッターボタンはボディ前方に移動し、押しやすくなった

また、ストロボ同調速度もニコンFの1/60秒から1/80秒へと速くなっている。特徴的なのは、セルフタイマーを利用して1秒から10秒までのスローシャッターが可能なことだ。ただ、これはニコンF2のオリジナルではなく、東独のペンタコンスーパーやエキザクタVXなどに先例がある。

シャッターダイヤルをBに合わせ、シャッターボタン周囲のリングをTに合わせることにより、セルフタイマーを利用したスローシャッターが可能になっている

バルナックライカではシャッターボタンがフィルム送りのスプロケット軸を貫通してカメラ底部の機構を動かしていた。その流れを汲む関係で、ニコンFのシャッターボタンも背面に近い位置にあったわけだが、やはり押しづらいということで、ニコンF2では前方の押しやすい位置に移動した。

ミラー機構の改良

前述のDおよびEの改良すべき点は、クイックリターンミラーのメカニズムに関係する。ニコンFではミラー受け(社内では「チリトリ」と呼んでいた)の先端の横にピンが設けてあり、これをフック状のレバーで押さえていた。シャッターボタンを押すと、このフックが外れてミラーが上昇し、一連の露出動作が始まる。そして露出が終わるとミラーは下降してフックに引っかかる位置に戻る。

ところが、このときミラーダウンバネの力が働いているので、ミラーはミラーボックスの壁に設けられた位置決め用のピンに押し付けられるのだ。次にフィルムを巻きあげるとミラー駆動用のバネがチャージされて、今度はミラーアップ方向に力が加わり、フックで抑止される。つまり、フィルム巻き上げ動作でミラーにかかる力の方向が下方から上方へと変わるので、ミラーは位置決めピンとフックの間の隙間分だけわずかに動き、これがDの焦点位置のズレを引き起こすのだ。

また、手動でミラーアップするときにもミラーを上げるためにチャージしたバネの力を使うことになり、元に戻すには巻き上げレバーを操作して駆動バネを再度チャージしなくてはならず、フィルムを1枚ムダにすることになる。

ニコンF2ではミラーは弱いバネで常に下方に押し付けるようにし、ミラーボックス側面に設けたミラー駆動レバーでこれを持ち上げるような構成にした。ミラーが下がった状態では位置決めピンに当たっており、駆動レバーとは切り離されている。シャッターボタンが押されるとフックが外れてミラー駆動レバーがバネに引かれて動き、途中でミラーを連れていくわけで、こうすれば前述の問題点はなくなる。Aカメラの開発者はこれを「ブラブラ方式」と呼んでいた。なお、ミラーの前後方向の長さも長くなり、ミラー切れを解消している。

モータードライブ

フラッグシップ機なので、ニコンF2にもモータードライブが用意された。当初はMD-1で、その後マイナーチェンジを施されたMD-2に代わっている。ニコンFのときはモータードライブはリモートコントロール用としての性格がまだ色濃く残っていたが、ニコンF2用のものは、むしろ連続撮影の機能がメインになっており、そのため電池ケースは最初からモータードライブと一体になったデザインとなっている。また、個々のボディに合わせての調整も不要になった。

MD-1やMD-2で特筆すべきは自動巻き戻し機能であろう。それまでモーターによる自動巻き戻しまで備えたものはほとんどなかったが、その主たる理由は35mmフィルムのパトローネ軸は巻き戻し用のキーが軸の片側のみに設けられているためだった。そのため、カメラの下側から軸を駆動して巻き戻すことができなかったのだ。それが同じ1971年発売のライカ M5をきっかけとして軸の反対側にもキーが設けられるようになった。ニコンF2用のモータードライブはそれをさっそく利用して自動巻き戻しの機能を盛り込んだのだ。

1971年より以前の35mmフィルムは左のようにスプールの反対側にキーが設けられていなかったが、ライカ M5の登場もあって、右のようにキーが設けられるようになった。ニコンF2用のモータードライブMD-1、MD-2の自動巻き戻しはこれを利用している
裏蓋は蝶番による開閉式となったが、フィルムマガジンを使用可能にするため開閉はボディ底部の半月キーで行う。この半月キー部はそっくり取り外すことができ、モータードライブ使用時にはここから自動巻き戻し用のシャフトを挿入する

なお、1977年にはコマ速を落とした簡易型のモータードライブMD-3が登場したが、こちらは自動巻き戻し機能は省略されている。

その他の改良点

ニコンFからF2になって、フィルムの装填は裏蓋をヒンジで開閉する、普通のものになった。ただ、フィルムマガジンの使用の関係で、裏蓋の開閉はカメラ底部のフィルム室の直下に設けられた半月型のキーで行う。このキー部はそっくり外すことができ、MD-1やMD-2使用時には、キーを外した跡の穴から巻き戻しのシャフトを挿入するようになっている。モータードライブに250枚撮りの長尺マガジンも用意されたが、これを使うために裏蓋を取り外すことができるようになっている。これは後にデータバックの装着にも応用された。外観デザインも直線的だったニコンFに比べ、そのイメージは残しつつ丸みを帯びたものになっている。

豊田堅二|プロフィール
1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。

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