【カオス】現代人には理解できない…19世紀、欧米が熱狂した「衝撃の趣味」3選

(※写真はイメージです/PIXTA)

あなたは休みの日には何をして過ごしますか? 19世紀のヨーロッパやアメリカの人々はかなり独特な趣味を持っていました。当時の不思議な習慣を覗いていきましょう。歴史系YouTuber・まりんぬ氏の著書『思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』(佐藤幸夫氏監修、KADOKAWA)より一部を抜粋し、19世紀欧米で流行した「衝撃の趣味」3選を紹介します。

<前回記事> 【実話】吸血動物・ヒルを集めて稼ごう!19世紀イギリス、本当にあった「トンデモ職業」3選

①コナン・ドイルも夢中になった「降霊術」

~科学の黎明期にオカルトなブーム

「週末、またいつものメンバーで集まりましょうね!」「いやぁ、今から楽しみです」と、現代でもよくこんな会話を交わしますが、19世紀の人々も集まることは好きでした。しかし、その目的は一味違いました。彼らは、死者と交信する降霊術のセッションを開催して楽しんでいたのでした!

19世紀半ばから20世紀初頭まで、欧米では降霊会が大流行し、多くの人々が、幽霊との交信を試みました。自宅で仲の良いメンバーで集まって小さな降霊会を開いたり、また霊媒師のステージを楽しんだりしていました。霊媒師は、死者からのメッセージを伝えたり、テーブルを浮かせたり、光を発したり…。そして、あの有名探偵の生みの親さえも、例外ではありません。

シャーロック・ホームズの生みの親、アーサー・コナン・ドイル[1859〜1930]は作家であり医師でもありました。当初はこのブームに対して懐疑的で「この世で最大のナンセンス」と考えていました。ところがその後出席したセッションで、彼がイメージしていたことを友人がスケッチしたことで、この世界に興味を持つようになりました。数多くの降霊会に参加し、超常現象の研究に夢中になりました。スピリチュアリズムに関する執筆や講演も行いました。

②お金持ちは山へ“シダ狩り”に。「シダ狩りパーティー」

~国中を動かした魅惑の植物・シダ

イギリスで大流行したあるパーティーは、現代の私たちにとっては苦痛の時間かもしれません。それはシダ狩りパーティーです。人々はシダ植物、そしてシダ植物に似た形状のものに対して、狂気的に夢中になっていました。「シダ狂い」という言葉が生まれたほどです。それにしても、一体なぜこのようなカオスな状況が生まれたのでしょうか?

まず19世紀前半に「博識なエリートのための植物」という売り込みで、エキゾチックなシダ植物が販売され始めました。そう、イケてる人の家には、シダ植物が欠かせないのです。このマーケティングを仕掛けたのは、植物学者のジョージ・ロディゲス[1784〜1846]で、彼は巨大な植物温室園を作り集客しようと考えていたのです。この作戦は大成功し、その後すぐにシダは全国的な大ブームとなりました。

お金持ちたちは「シダハンター」となり、シダの多い国内の田舎、さらには西インド諸島や中央アメリカまで探検に出かけました。「自慢できる、最高のシダ植物を見つけるわよ!」と、彼らは意気込んでいました。幸い当時はガラスが一般化してテラリウムも登場していたので、いい状態を保ったまま遠征先からシダを運搬できるようになっていました。そして持ち帰ったシダを最高の状態で飾るべく、庭に洞窟や温室を建ててシダ園を作ったのです。またお金のない人々は、押し花ならぬ「押しシダ」を作って、アルバムに貼り付けていました。シダでいっぱいになったアルバムは、心躍るアイテムでした! そして、シダ植物だけでは満足できなかったのか、シダ植物の柄を使用したお皿、家具、そしてお菓子の模様まで、あらゆるものがシダモチーフで溢れました。まさにシダ狂いの名にふさわしいですね。

③悪趣味な観光名所、「死体安置所」

~事件が起きればパリ市民が殺到

1871年のプロイセン・フランス(普仏)戦争でドイツに敗れたフランスは、不景気も相まって暗い空気に包まれていました。当時のパリの人々は死体安置所に行くことが大好きでした。新聞に不可解な事件や陰惨な事件が載ると、「やばい事件が起きた! これは大変だ! 行かなくっちゃ!」と、被害者の遺体を見ようと死体安置所に押しかけたのです。この建物は、市民の協力を得て身元不明の遺体の身元を確認する目的で存在しており、大人数が入場できるようになっていました。しかし、その実態は完全に見せ物になっており、毎日老若男女が押し寄せ、死体の前でああでもないこうでもないと噂話を楽しみました。人気スポットとして観光ガイドブックに載っていたほどです。フランスを代表する作家、エミール・ゾラ[1840〜1902]はこんな風に述べています。「死体安置所は貧乏人も、金持ちもタダで見られる見せ物だ。入りたい人は、誰でも入れるのだ」

ところが19世紀末から景気が回復、ベルエポック(良き時代)という華やかな時代となり、街には娯楽があふれるようになります。死体安置所のような暗いところへわざわざ足を運ばなくても、楽しく過ごせるようになりました。さらに20世紀に入ると人々のモラルも向上し、地元企業やマスコミからも苦情を受けるようになってしまい、死体安置所の一般公開は廃止となりました。

イラスト:髙栁浩太郎
出所:まりんぬ著『思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』(佐藤幸夫監修、KADOKAWA)

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【まりんぬ'sコメント】

イギリスにはもともとプラントハンターが植物好きがいますが、これは調査公開で植物を取集していたダーウィンがきっかけと言われています。

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【著者】まりんぬ
歴史系YouTuber。イギリス在住。イギリスを中心に主にヨーロッパのニッチな歴史ネタを紹介し、支持を集めている。動画は著者自らが出演、ストーリーテラーとなる形式で、中世~近代の王家・貴族から庶民の話まで、多ジャンルにわたる。ゾクッとするような内容もユーモラスかつ丁寧に解説し、女性を中心とした歴史ファンに人気。チャンネル登録者数30.1万人(2024年3月時点)。

【監修】佐藤 幸夫
代々木ゼミナール世界史講師。エジプト在住。世界史ツアーを主催しながら、年3回帰国して、大学受験の世界史の映像授業を収録している。世界102ヵ国・300以上の世界遺産を訪れた経験をスパイスに、物語的な熱く楽しく面白い映像講義を展開する。2018年からは「大人のための旅する世界史」と題して、社会人向けの世界史学び直しツアーを開催。また、オンラインセミナーとして「旅する世界史」講座を実施、世界史×旅の面白さを広げている。著書に『人生を彩る教養が身につく 旅する世界史』(KADOKAWA)などがある。

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