トヨタ2000GTが奇跡の復活 世界で“1億円”の注目度…「絶対に手離さない」

1967年式トヨタ2000GTの走りは健在だ(交通安全イベントのパレード時に撮影)【写真:ENCOUNT編集部】

全生産台数はわずか337台…米国のオークションで1億円超

幻のクルマの状況を確認した時、目の当たりにして、「こりゃ、すごいな」。思わず絶句した。人生を懸けて修復に成功したのは、トヨタ2000GTだ。1967年式のMF10型。全生産台数はたった337台とされる、伝説の国産スポーツカー。70代男性オーナーの執念のレストアに迫った。(取材・文=吉原知也)

真っ白な車体は、品格と風格を漂わせる。ひとたびカーイベントに参加すれば、熱烈ファンや海外の愛好家が殺到して記念写真を収める。世界的にも注目を集めている激レアカーだ。

旧車の維持は一般的に非常に難しいものだ。この1台、コンディションは芳しくなかった。

「私が引き取らせてもらうことになったのですが、状態を確認した際に本当に驚きました」。

大のクルマ好き。大学生の時、ホンダ・S600に憧れ、バイト代で買ったのがマイカーの始まり。数多くの名車に乗り、コレクションを収集してきた。一方で、トヨタ2000GTには縁がなかなかなかった。

チャンスが巡ってきたのが、18年ほど前のこと。知人から貴重車を受け継ぐことになったのだ。厳しい状態からの復活に挑んだ。足回り、エンジン、ブレーキ類はなんと、自らの手でレストア。家業が自動車整備に携わっていたこともあり、工場を使わせてもらった。塗装や板金は専門業者の手を借りて、2年間かけて丹念に仕上げていった。

「部品がないクルマなので、そこは本当に苦労しましたよ。解体して、直せるものは直して、使えないパーツを探して、組み立てて。走らせたらミッションがダメで、ギアパーツが一番大変でした」と振り返る。

手間を惜しまず、“財布”もフルスロットルで心血を注いだ。ブースターのオーバーホールでは米国から部品を取り寄せた。

職人による心意気に感激したこともあった。座席シートはもちろんオリジナルのまま。「破けていた部分は、業者さんがぜひオリジナルの生地を残したいと工夫してくれて、縫い目も分からないように丁寧に修復してくれたんです」と感慨深げに話す。

製造番号などが書かれたプレートを含めて細部を磨き直し、ピッカピカに。2年の時を経てフルレストア完了。オリジナルのエンジンを残すことにも成功し、「ほれぼれしましたよ」と感無量の復活劇だった。新潟・糸魚川まで自走でカーイベントに参加した際、9月ながら暑さに参った経験があり、エアコンを取り付けたという。

それに発見もあった。「塗装をはがしていくと面白いことが分かってね。もとのボディーカラーは白だったのが、当時はやっていたのか途中で薄黄色に塗られて、前の持ち主がシルバーに変えたんですよ。それが地層みたいに分かるんです。私はメーカー色を追求して、オリジナルの白に戻したんです」と教えてくれた。

レストア費用は「部品や外注だけで、1000万円以上かな」

再整備にかけた費用は「部品や外注だけで、1000万円以上かな。私たち自分たちの工賃は含めていませんよ」。厳密に計算すると、とてつもない金額になりそうだ。

近年、米国のオークションで1億円を超える値段で落札されたことが大きな話題を集めた最高峰の旧車。間近で見学していたクラシックカー愛好家も「1億円レベルですからね。世界が見ているすごいクルマですよ」と舌を巻く。

実際に多額マネーを提示されての引き合いがあったことも確かだ。それでも、男性オーナーには鉄の信念がある。

「『部品取り車にはしない』『転売はしない』。これが前の所有者との約束です。だから私は絶対に手離しません」。はっきりとした口調で断言する。

走って維持するがモットーだ。引き継いだ時の総走行距離は約10万キロ。今は15~16万キロを数えている。

「まさにグランドツーリングカー。長い距離を走ることに適しているクルマなんです。本当に走りやすいですよ」と実感を込める。

歴史に残る名車の継承。長男を“後継者指名”する予定でいる。「もちろん、転売は絶対ダメという約束です」。

希少車をよみがえらせ、これほどの情熱をささげられる原動力とは。「やっぱりクルマが好きなんですよね。このトヨタ2000GTとは切っても切れない縁で結ばれています」。今日も元気に、爽快なエンジン音を響かせていく。吉原知也

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