33年ぶり来日のトッテナム!日本代表に大敗した当時のメンバーまとめ

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プレミアリーグ(イングランド1部)のトッテナム・ホットスパーが2024年7月27日に国立競技場で昨季のJ1王者ヴィッセル神戸と対戦する。1991年6月に同競技場で開催されたキリンカップ以来実に33年ぶりの来日となるトッテナムだが、当時は日本代表、タイ代表、バスコ・ダ・ガマ(ブラジル)との4チーム総当たり戦で、勝ち上がったトッテナムと日本代表が6月9日に優勝をかけて戦った。FW三浦知良が2ゴールを決めるなど日本優勢で進んだこの試合、トッテナムは4-0の大差で敗戦している。なお、この勝利によって日本代表は初めてキリンカップでの優勝を手にした。

当時のトッテナムは1990/91シーズンのイングランドリーグで15位という厳しい順位ではあったものの、1991年5月18日にノッティンガム・フォレストとの戦いを2-1で制しFAカップで優勝を果たしている。そんな海外の強豪チームを下した日本代表の活躍は、Jリーグ開幕を数年後に控えながらもサッカーがまだまだマイナースポーツだった日本サッカー界を活気づける最高の勝利となった。なお、キリンカップはこの大会以降、各国代表チーム同士の戦いへ変更されており、33年前はまさに日本サッカーの転換期だったと言えるだろう。

この記事では、1991年に日本代表と対戦したトッテナムのスターティングメンバーを振り返る。


イアン・ウォーカー 写真:Getty Images

GKイアン・ウォーカー

キリンカップ出場時はわずか19歳だったイアン・ウォーカー。当時はまだ正ゴールキーパーではなかったが、その後スタメンの座に定着。トッテナムでは合計312試合に出場するなど、長きにわたりチームのゴールマウスを守ってきた。また、1999年に行われたEFLカップの決勝でレスター・シティとの戦いにスタメン出場を果たすと、1-0とクリーンシートの活躍を魅せチームを優勝へと導いた。


ミッチェル・トーマス 写真:Getty Images

DFミッチェル・トーマス

1986年から1991年まで主力としてトッテナムのディフェンスラインを支え続けたが、キリンカップ出場のわずか2か月後にあたる1991年8月にウエストハム・ユナイテッドに移籍してしまったミッチェル・トーマス。イギリス誌『タイムズ』は2023年11月、トーマスが代理人ライセンスを所持していないにも関わらず、2008年にトッテナムからポーツマスへとFWジェーメイン・デフォーが移籍した際に関与していたと報道しており、今後の展開に注目が集まっている。


ジャスティン・エディンバラ 写真:Getty Images

DFジャスティン・エディンバラ

トッテナムの左サイドバックとしてクラブに10年間在籍したレジェンドのジャスティン・エディンバラ。現役引退後は監督へと転身し、2018/19シーズンには当時イングランド5部のレイトン・オリエントを率いて初年度にも関わらずクラブをナショナルリーグ優勝に導くなど、監督としての手腕も発揮した。しかし2019年6月8日、49歳という若さで他界。監督としてトッテナムを指揮する姿を心待ちにしていたサポーターも多かったはずだ。


DFデイブ・タトル

センターバックとしてトッテナムでプロキャリアをスタートさせたデイブ・タトル。キリンカップ出場時は19歳という若さで、その後もトッテナムでのキャリアが期待されていた。しかし、2年後の1993年にシェフィールド・ユナイテッドへ移籍。2024年からはアリスバーリー・ユナイテッドというイングランドのセミプロクラブで暫定監督をしている。


スティーブ・セドリー 写真:Getty Images

DFスティーブ・セドリー

1986年にコベントリー・シティでプロデビューし、翌1987年にはFAカップ優勝を経験したスティーブ・セドリー。対戦相手は奇しくも後に移籍するトッテナムだった。セドリーの出場時間は短かったが、コベントリーが3-2で優勝を果たした。その後セドリーは1989年にトッテナムに移籍。1991年のFAカップ決勝では見事スタメン出場し、2度目のカップ優勝を手にした。

ポール・アレン 写真:Getty Images

MFポール・アレン

1980年のFAカップ決勝ウェストハム・ユナイテッド対アーセナル(1-0)に17歳で出場したポール・アレンは、ウェンブリー・スタジアムにおける同カップ決勝出場選手の最年少記録を更新した。1985年から1993年までトッテナムに在籍しチームの中盤を支え続け、1991年にはクラブの年間最優秀選手にも輝いている。


MFポール・スチュアート

1991年FAカップ決勝の得点者であるポール・スチュアート。デビューしたブラックプールでは主にフォワードとしてプレーしていたが、トッテナムでは中盤を主軸に活躍。攻撃的MFとしてMFポール・ガスコインと共にチームを牽引した。キリンカップではキャプテンを務めるなど1988年から4シーズンにわたりトッテナムの主力として存在感を発揮。しかし、その後リバプールへと移籍した。


ヴィニー・サムウェイズ 写真:Getty Images

MFヴィニー・サムウェイズ

トッテナムのユースからそのままトップチームデビューを果たしたヴィニー・サムウェイズ。1994年以降はエバートンを経て、28歳でラ・リーガ(スペイン)のラス・パルマスに移籍している。パルマスではイングランド人でありながらカピタン(キャプテン)を務めるなど、スペインサッカーにおけるイングランド選手の地位を築いた一人と言えよう。


デイビッド・ハウエルズ 写真:Getty Images

MFデイビッド・ハウエルズ

1985年から1998年までトッテナムに在籍し、1991年FAカップ優勝の立役者としても活躍したデイビッド・ハウエルズ。FAカップでは中盤の底としてプレーしていた。2019年にトッテナムの新スタジアム「トッテナム・ホットスパー・スタジアム」が完成した際、OBたちによるレジェンド・マッチにメンバーとして参加した。


FWジョン・ヘンドリー

スコットランド出身のジョン・ヘンドリーは、1990年にダンディー(当時スコットランド1部)からトッテナムに加入した。1993年5月に行われたアーセナルとの“ノースロンドン・ダービー”では、アーセナルのホーム「ハイバリー・スタジアム」で2ゴールを奪い、3-1の勝利に貢献。なお、同ダービーにおいてトッテナムの選手がアウェーで2ゴールを記録したのは、ヘンドリーとFWソン・フンミン(現トッテナム所属)の2選手のみである。


ゲーリー・リネカー 写真:Getty Images

FWゲーリー・リネカー

1986年のFIFAワールドカップメキシコ大会では、イングランド代表として6得点を挙げ得点王になったゲーリー・リネカー。1989/90シーズンにはトッテナムで24得点を挙げてイングランドリーグ1部でも得点王を獲得した。スピードを活かしたプレーで得点を量産し続けるイングランド屈指の点取り屋だ。リネカーはトッテナムが日本代表と戦ったキリンカップの翌1992年、Jリーグ開幕前の名古屋グランパスへ鳴り物入りで加入。在籍していた2年間の成績は18試合4ゴールだったが、イングランドのレジェンドの存在は、Jリーグの盛り上がりに間違いなく一役買ったはずである。1994年、名古屋退団とともに現役を引退した。


国立競技場 写真:Getty Images

国立での試合に期待が高まる

日本サッカーの転換期に来日したトッテナムが再びやってくる。Jリーグの開幕から31年が経過し、いまや日本でもサッカーは人気のスポーツとなっている。配信技術の向上により、トッテナムをはじめ様々な海外クラブとファンやサポーターの距離も近くなった。

33年前と同じ会場で開催される今夏のヴィッセル神戸戦が、トッテナムに驚きを与えられる内容になることを望むとともに、ここからさらに日本サッカーが発展するきっかけになることを願ってやまない。

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