横浜FMが初のACL決勝を戦う「アル・アイン」の歩き方(2)火を噴く「エンジン」、「沢登」が決めた、消えた「ホテル」の巻

バックスタンド後方に岩山が見える。左の山のてっぺんに1人の男性が…。提供/後藤健生

横浜F・マリノスが、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝初進出を決めた。5月にホーム&アウェイ方式でファイナル2試合を戦う。アジアの王座を争う相手は、UAEのアル・アイン。蹴球放浪家・後藤健生はもちろん、優勝チームが決まる第2戦アウェイの地をスカウティング(事前分析)済みだ。

■現在と違う「W杯予選方式」

さて、僕が初めてアル・アインを訪れたのは、1993年4月から5月にかけてのアメリカ・ワールドカップ1次予選のときでした。

1次予選は、日本とUAEのダブル・セントラル方式で行われました。

日本はまだワールドカップ出場経験はなく、一方のUAEは4年前のイタリア大会に出場していましたから、当時の日本にとってUAEは格上の強豪でしたが、東京での1回戦では柱谷哲二と高木琢也のゴールで日本が勝利。そして、UAEラウンドの最終日に、日本は再びUAEと対戦。その会場がアル・アインでした。

このときの大会では、UAEは全試合をアル・アインで戦い、他の試合はドバイで行われました。ですから、僕はずっとドバイに泊まっていて、UAE戦の朝にバスでアル・アインに向かいました。途中でバスのエンジンが火を噴いてしまって、砂漠の中の高速道路の脇で代替バスを待つという経験をしました。

そして、日本は82分に失点してしまいましたが、すぐに澤登正朗が決めて追いつき、最終予選進出を決めました。

しかし、アル・アインは日帰りでしたから、市内の印象などはほとんど残っていません。

■ホテルが「ない!」

アル・アイン市内を歩き回ったのは、2019年のアジアカップのときでした。

アル・アインには4泊したのですが、予約サイトで探した「アル・マッサ」というホテルを予約してありました。街の中心にある安ホテル……のはずでした。予約サイトに出ていた地図で場所も確認してあり、バス・ターミナルからも徒歩圏内のはずでした。

しかし、行ってみると、そこにはそれらしいホテルはありません。

「う~ん」

近くを通りかかった人に聞いてみたら、同じ名前のホテルがちょっと離れたところにあるというのです。

それで、教えてもらった通りに歩いて行ったら、たしかに「アル・マッサ」がありました。しかし、僕の名前は予約リストに入っていませんでした。

レセプショニスト(受付を担当する人)が言うには、同じ名前の系列ホテルが街の北のほうにあるというのです。

「行ってみたら?」

■試合観戦の「特等席」

で、仕方がないので、ホテルの前にいるタクシーを拾って、もう一つの「アル・マッサ」に行ってみました。

案の定、僕の予約はこちらの「アル・マッサ」のほうに入っていました。それにしても予約サイトのなんといい加減なこと!

僕が泊まった「アル・マッサ」は都心部から離れていていましたが、その代わり、周囲は本当に広々していましたし、アル・アイン最大のスタジアム(アル・アインFCのホーム)、ハッザア・ビン・ザイード・スタジアム(2万5000人収容)までは歩ける距離だったので、その点では便利でした。大きな通りまで出れば、都心行きのバスもたくさん通ります。

日本対ウズベキスタンの試合は、小さなハリード・ビン・ザイード・スタジアム(1万2000人収容)で行われました。バックスタンドの後方に岩山が見えるのが、なんともアル・アインらしい光景でした。そして、よく見ると、夕日に照らされたその岩山のてっぺんに1人の男性が座って、試合を観戦していたのです。

いいなあ、アル・アイン。

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