【30年前】1994年のブラック・ミュージック:当時のシーンを7つのトピックで振り返る

ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベントなど幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第49回。

今回は、今から30年前の1994年のブラック・ミュージックについて。

___ 

50年前(1974年)、40年前(1984年)の回顧・分析に続いて、今度は30年前を振り返ってみよう。1994年のブラック・ミュージック界だ。取り上げるのは、ビルボードの「Top R&B Albums」チャート(現在のTop R&B/Hip-Hop Albumsに相当)で首位まで上り詰めたアルバム15作。これらの作品から見えてくる7トピックに分類しで、時代の動向を解き明かしてみたい。

1. 西からの風が吹く時

・スヌープ・ドギー・ドッグ『Doggystyle』
・ウォーレン・G『Regulate…G Funk Era』
・MCエイト feat.コンプトンズ・モスト・ウォンテッド『We Come Strapped』

1991年、N.W.A.のセカンドにして最終アルバムである『Efil4zaggin』が(Top R&B Albumsチャートではなく)Billboard 200チャートで初登場2位という快挙を成し遂げたおかげで可視化されたのが、西海岸ヒップホップの勢いというものである。

この1994年のチャートを見ても、やはりそのパワーは明白だ。前年からヒットを続けていたスヌープ・ドギー・ドッグのデビュー作『Doggystyle』はもちろんのこと、その盟友ウォーレンのデビュー作『Regulate…G Funk Era』も1位獲得。このアルバムは35分にも満たない小品なれどブリリアントだった。サウンド的にはドレー兄とはまた違うGファンク音像、リリック的には南カリフォルニアのフッドで育つ少年の私小説的なサウダージ感あり。

さらにMC・エイトとコンプトンズ・モスト・ウォンテッド! 「ワシら、武装してきましてん」と題された本作、コンプトンズ・モスト・ウォンテッドとしては第4作だが、実質的にはMC・エイトのソロ・デビュー作と見なされている。定番となっていたDJ・クイックへのディス曲「Def Wish」シリーズは第3弾を収録。

2.ヒップホップ・ソウルという時代

・ジョデシィ『Diary of a Mad Band』
・メアリー・J. ブライジ『My Life』

1990年前後に隆盛を誇ったジャンル「ニュー・ジャック・スウィング(NJS)」から王座を奪った、R&B界の次なる潮流。それがヒップホップ・ソウルであり、この新たな流れを象徴するアーティストが、Jodeciとメアリー・Jだった。

もっとも、先駆者というものはたいてい前のジェネレーションと繋がりがあるものだ。この両アーティストも「NJSの本家」的なレーベル「アップタウン」からデビューしたし、メアリーJはNJS系ラッパーであるファーザーMCのバックで歌っていたことがある。さらに、ジョデシィのデビュー作(1991年)には明らかなNJS風味もあった。時期を考えると当然だが。

だがNJS時代とヒップホップ・ソウルを分けるのは、なんといってもアティテュード。バブル経済を背景として健康的に踊りまくる前者に対して、斜に構えてクールさを保ちながらストリートの現実を伝える姿勢が、後者の肝だったと言えるだろう。

なお、『Diary of a Mad Band』ジャケットでジョデシィの面々が着用しているのは、大西洋岸で漁に勤しむフィッシャーマン用のスーツ(を四者四様に着崩したもの)。ゆえに、一部では「鳥羽一郎ソウル」と呼ばれたという……。

3. この男は避けられない

・R・ケリー『12 Play』
・チェンジング・フェイセズ『Changing Faces』

同様にNJS期に浮上し、ヒップホップ・ソウルで開花したのがR・ケリーだ。

この2024年に彼の話をするのは難しいが、1990年代から長らくR&B界の第一線で活躍してきたシンガー/ソングライター/プロデューサーであり、その本質は「守成の大器」というか『三国志』でいえば孫権というか。テディ・ライリーのように新ジャンルを開拓する天才ではないが、どんな時代にも器用に対応してきた。それがゆえに「ブラック・ミュージック界で全盛期が最も長かったアーティスト」となり得たのだと思う。

その彼がリード曲2つを提供・制作したチェンジング・フェイセズのデビュー作も、合わせて記しておきたい。

4. サウンドトラック全盛期

『Above the Rim(邦題:ビート・オブ・ダンク)』
『Jason’s Lyric』
『Murder Was the Case』

ブラック・ムーヴィーのサウンドトラックというものが「新曲見本市」的なコンピレーションとして愛されたのが1990年代である。出版界でいう短編アンソロジーのような趣きで。実際には映画中で使われないイメージ曲ばかりを集めたコンピレーション(より正確を期して”music inspired by”と表記する例も)も多かったが、なんにせよ中堅やヴェテランが新曲を軽く発表する場所として機能し、新人アーティストにとっては自己紹介のための場となった。

この1994年にTop R&B Albumsチャートで1位を記録したサウンドトラックは3作。2パックも出演したバスケットボール映画『Above the Rim(邦題:ビート・オブ・ダンク)』は、ウォーレン・Gやサグ・ライフが参加してヒップホップ路線。

セクシーな『Jason’s Lyric』はR&B寄りで、ディアンジェロが頭角を表した「U Will Know」入りだ。

『Murder Was the Case』のサウンドトラックは、スヌープ&ドクター・ドレーと彼らに近しいラッパーが大半を占めるから、西海岸勢の勢いの証明と見ることもできる。

5. 80年代組は消えず

・キース・スウェット『Get Up on It』
・アニタ・ベイカー『Rhythm of Love』

先に書いた通り、メアリー・Jやジョデシィも前の時代のNJSから出てきたアーティストだ。では、その80年代に本格的活躍を見せたシンガーたちは、この新たなエラにどう生きたか?

キース・スウェットの場合、むしろ90年代半ばからが絶頂期だったように思える。キャリア最大のセールスという意味では1996年の次作『Keith Sweat』の400万枚に負けるが、この1994年作『Get Up on It』もヒット曲「How Do You Like It?」に導かれて、プラチナム・セールスを記録した。

一方、NJS直前の1986年に『Rapture』をリリースし、自身最大のセールス(500万枚)としていたのはアニタ・ベイカー。NJS後の1994年に出した『Rhythm of Love』も、「Body and Soul」等のヒット曲を生み、200万枚セールスとなった。

6. 70年代組も消えず

・バリー・ホワイト『The Icon Is Love』

常に変わりゆく音楽界において、幾つもの波を乗り越え、レコーディング・アーティストとして生き残るのは難しい(ライヴ・アクトとしては別)。2つの世代にまたがって活動するのはまだしも、3つ以上となると至難の業だ。しかしバリー・ホワイトは例外である。

その全盛期はもちろん1970年代。だが80年代に出したアルバムは7枚中5枚がTop Black Albumsチャートにランクインしていた。それらを上回るヒットとなった1991年の『Put Me in Your Mix』も完全復活作とみなされていたのだ。

だとすれば、この1994年作『The Icon Is Love』は「超完全復活作」だろうか。というのも、ジャム&ルイスやチャッキー・ブッカーらの助力を得た本作は、なんとバリーのキャリア史上最大のセールスを記録したのだ! やはり、ジェラルド・リヴァートの制作でヒットしたシングル「Practice What You Preach」のインパクトゆえか。

7. イーストコーストのふたり

・メソッド・マン『Tical』
・レッドマン『Dare Iz a Darkside』

商業的には西海岸がリードする時代となったが、ヒップホップ生誕の地であるイーストコーストもクリエイティヴィティでは負けていない。そんな1994年、Top R&B Albumsチャートの首位まで上り詰めたのはメソッド・マンとレッドマンだ。

前者はウータン・クランのリード・ラッパーでスタッテン島&ロングアイランド育ち、押し殺したトーンの中に鬼気迫るリリシズムがトレードマーク。

後者はニュージャージーのニューアーク出身でデフ・スクワッド構成員(当時)、ユーモラスな饒舌さを漂わせる芸風だ。

この時点でも交流があった両者、やがて2パックの『All Eyez on Me』に収められた「Got My Mind Made Up」で共演したことから、「メソッド・マン&レッドマン」として知られるようになるのだ。

Written By 丸屋九兵衛

© ユニバーサル ミュージック合同会社