「陸(おか)では生きられん」 舳倉島の海女、瓦礫の山を前に決意

津波が押し流した瓦礫が山積みとなったままの島内=舳倉島

  ●40人一時帰宅 津波被害甚大、停電続く

 舳倉(へぐら)島で漁を生業(なりわい)にしてきた約40人が27日、約4カ月ぶりに一時帰宅した。津波に押し流された島内は瓦礫(がれき)や漁具が散乱したまま。海と生き、国重要無形民俗文化財の担い手でもある海女(あま)たちは、自然の猛威に息をのみながらも「いまさら陸(おか)では生きられん」と歯を食いしばり、漁の再開が見通せない中、波に漬かって潮の匂いが抜けない家屋の片付けに追われた。(奥能登支社長・山本佳久、社会部兼写真部・三上聡一)

 輪島港から漁船で1時間半。津波に襲われ、4カ月近く無人となっていた島に上陸すると、壊れた漁具や家屋の残骸が山となったまま、時が止まっていた。

  ●転がる三輪自転車

 島唯一の発電所が停止し、各家の冷蔵庫に入っていた魚が悪臭を放つ。島民の「足」である三輪自転車など、あらゆるものが海女の住家の前に押し流され、転がっている。

 島の港は小さく、港内の海は透き通るほど美しい。それだけに津波で流された海中の瓦礫がくっきり目に飛び込む。元日、漁港が位置する島南側を高さ約3~4メートルの津波が襲った。

 海女の白崎真知子さん(73)の自宅も津波で海水に漬かり、1階には損壊した納屋や隣家の瓦礫が流れ込んだ。夫の均(ひとし)さん(75)とともに片付けに取り掛かるため、背丈を越える物干し竿(ざお)につるしてあった手袋を手に取ると、中に海水がたまり、ぐっしょり濡(ぬ)れていた。「ここまで津波が来たんやねえ」。白崎さんはつぶやくと、その手袋をはめ、瓦礫を運び出した。

  ●海潜れず歯がゆい

 木村春枝さん(66)宅ではソファやテーブルが津波になぎ倒され、玄関の靴棚が部屋に流れ込んでいた。

 輪島の海女は島で生活しながら海に潜る「定住海女」と、輪島港から舳倉島や七ツ島の漁場に向かう「通い海女」の二通りある。輪島港は施設が被害を受けており、通うのは難しい。木村さんは「島に住めなくてはどうにもならん」と話し、津波の衝撃で壊れた窓ガラスの破片を拾い集めることから作業を始めた。

 民宿「つき」の女将(おかみ)で海女でもある木村世紀子さん(65)は港内で、発泡スチロールを加工した手製の浮輪やウエットスーツを回収した。本来は7月からアワビやサザエの素潜り漁が行われる。「海女文化を守っていきたい。でも、今は海に潜ることができない」と歯がゆさをにじませた。

 野鳥の楽園と呼ばれる島はバードウオッチング愛好家でにぎわう季節を迎えたが、定期船は運休が続き、春を告げる野鳥のさえずりがむなしく響いた。

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