笑福亭鶴瓶さん、こわばった心に「笑いの力」を 大震災の被災地で交流「どんな状況でも、人間は再生できる」

震災の被災者らとの交流を振り返る笑福亭鶴瓶さん=東京都内(撮影・斎藤雅志)

 落語家の笑福亭鶴瓶さん(72)はあの朝、兵庫県西宮市甲陽園目神山町の自宅(当時)で寝ていた。1995年1月17日午前5時46分。異様な音に目を覚ます。

 「『ゴーー』いうんですよ。こっちに来ているのが分かるんですよ。地面の中からゴーーって。寝返りゴーンとなって」

 トラックが家に突っ込んだかと思う衝撃。幸い自宅は無事で、弟子や知人の安否確認に走り回った。

 何日かして、地元の中学校に出向いた。多くの被災者が身を寄せる体育館の別の場所には、遺体が並べられていた。

 忘れられない言葉がある。それは必要なものを教えてほしいという鶴瓶さんの問いかけに、校長先生らしき人が答えたまさかのひと言。「みんなを笑わせたってください」

 体育館には横になっている人もいる。「僕がごちゃごちゃしゃべったら、しんどいでしょ?」。避難者に聞いたら、同じ答えが返ってきた。「ええから、笑わしたって」

 さて、どう笑わせよう。作り話よりは「ほんま」の話がいいと考え、まずは地震直後に見た犬の様子を面白おかしく話した。最初に子どもが笑う。つられるように大人もくすくすと。

 あれから間もなく30年。当時を振り返って鶴瓶さんは思う。人はつらくとも必ず再生できる。そのためにはふざけた気持ち、「こんなときにそんなこと言うたらあかんやん」っていう笑いが時に要る。そしてそれは自分の役目だろう。

 「緊張ばっかりやと、ものが考えられへんでしょ。心を緩和できる笑いって大事ですよ」

   ◆

 阪神・淡路大震災の話を聞かせてほしい。多忙を承知でお願いすると「ええよ」。鶴瓶さんが語ってくれた。(中島摩子)

■こわばった心 笑って楽になる どんな状況でも、人間は再生できる

 当時住んでいた西宮市の自宅で阪神・淡路大震災に遭遇した落語家、笑福亭鶴瓶さん(72)。地震の後に訪ねた地元の中学校で、被災者から「笑わせて」と頼まれました。思いがけない依頼に鶴瓶さんは笑いの力について考えたそうです。29年前の記憶をたどってもらいました。

 「近所が大変なことになってたんですよ。中学校の体育館には被災された人たちがたくさんいて。最初は大阪でおむつとか生理用品とか買うて持っていったんです。そっから何日かして、何かすることないかと思って聞いたら、『もう物資はいろいろあるから、鶴瓶さん、みんなを笑わせたってください』と言わはったんです。校長先生やと思うけど」

 「想定してなかったから、どうしよかな、と思って。体育館には、うなされてる人もおるから。でも、一番しんどそうな人も『ええから、みんなを笑わしたって』と言わはった。それがすごく、僕にはプラスになったんです。笑いっちゅうのは、人への気遣いが大事。『この人がいいと言うんやったら…』と言いながら、しゃべり出したんですよ」

 「高座で落語するような状況じゃない。だから僕は、震災からのリアルな話をしたんですよ。みんなの共通体験やから。何がセオリーか分からんけど、状況に応じてバランスとってしゃべることが一番なんやと思うんです」

-鶴瓶さんはそこで、地震直後から中学校を訪問するまでの自分の体験のもろもろを話した。

 「一番笑ったのは子どもでした。能登半島地震の被災地でもそうでしょうけど、お父さん、お母さんは明日のことが不安で仕方がない。でも、子どもは生活とは関係なく、その場でおもろいから笑うんですね。子どもが笑うと、親も笑う。西宮の中学校でそれを見たとき、勉強になったな、と」

 「あの時はやんちゃな子らがすごかった。俺がしゃべり終わった後、ヤンキーの子らが『おーいみんな、人のあれを作ったろ』って。アーチです。それを作って『良かった』と言って拍手して、送り出してくれたんですよ。うれしかったですね」 -16年後の2011年3月11日、東日本大震災が起きた。2カ月後、NHKの旅番組「鶴瓶の家族に乾杯」で、避難所になっている宮城県石巻市の寺を訪問する。そこにはたくさんの避難者がいた。

 「(歌手の)さだまさしと行ったんですよ。まっさんは歌を歌う。歌って強いな、と思ったんですよ。分かりやすいし、みんな知ってるし、涙するし。僕は住職に借りた着物を着て、落語をした。立って。それしかないですから」

 「自分が実際に会った高校の先生のことをしゃべる私落語(わたくしらくご)をしたんですけど、ウケようがウケまいが、必死に伝えようという気持ちが大事やと思ったんです。その時も、子どもらが笑ってましたね。いい経験させてもらいました」 -その寺で、震災前に会った女性と再会し、ある言葉をかけられた。

 「『遅いじゃない』って。何してたの、遅いよ、って言われて、僕、うれしかったですね。身内みたいで。普通はね、別に言うてもらおうと思わへんけど、『ありがとう』とか『よう来てくれた』とかでしょ。第一声が、何してたのよ、遅いじゃない。うわっ、そんなん言われる。すごいうれしかったですね」

 「東北で思ったんは…もっと有名になりたいと。もっと、人気者になりたい。見たらすぐに分かる人になりたい、と。この人が笑わせてくれる、この人がいてくれる。何もかも忘れて、この人に会えてよかったと思われる人間になりたいと思いましたね」 -阪神・淡路でも、東日本でも「笑い」を通じて被災者と触れ合った。鶴瓶さんには大切にしている笑いがあるという。

 「人は緊張ばっかりしてると、ものを考えられない。こわばって。だから、緩和できる笑いが大事。こんな時にそんなこというたらあかんやん、ってことも大事なんです。おもろいなと思った瞬間、楽になるんですよ」

 「笑いは人をけなしたり、悪くいじったりした方が楽。でも、誰かが傷ついているのは嫌なんです。そういうのは面白くないと、昔から思ってる。人をいじめるんじゃない笑いが大事だと。やさしい笑いはゆるいですよ。ゆるく流れるけど、最終的にはそっちの方がいい。人を喜ばす笑いはいずれ残る。つくった笑いより、ほんまの笑いの方がおもろいんですよ」 -ほんまの笑い?

 「伊丹空港の漬物屋のおばちゃんが『千枚漬けいかがですかー、千枚ないけど』って言ってたんです。掃除しながら。おばちゃんは笑わそうと思ってない。でも、めっちゃおもろいでしょ」 -4月、大阪市北区の繁昌亭で「能登半島地震・復興支援チャリティー落語会」があった。鶴瓶さんも出演した。

 「われわれがせないかんのですよ。こういう職業は。して当然。見に来てもらって、お金をいただいて、それを寄付する。当たり前のこと。できるもんがしたらいいんです」 -阪神・淡路大震災は来年1月で発生から30年。鶴瓶さんが今、伝えたいこと。そして願い。

 「人間は再生できるってこと。生きてると、どんな状況でも再生できるという気持ちを持つべきやと思います。それには、ふざけた気持ちも持たないと。笑いをパワーにして、次に進んでいくんです」

 「被災地に行って、喜んでもらって、笑ってもらう。ちょっとした苦しみを忘れられるぐらいの、そんな存在になれたらええなと思てます。見るだけで子どもらも楽しくなる、テーマパークのマスコット、そうそう、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のミニオンみたいなんにね。俺、ミニオン(笑)」 (聞き手・中島摩子) 【しょうふくてい・つるべ】1951年生まれ。大阪市出身。京都産業大在学中の72年、六代目笑福亭松鶴に入門し、ラジオ、テレビの人気者に。俳優としても活躍。上方お笑い大賞(2000年)、日本アカデミー賞優秀主演男優賞(10、11、20年)受賞。TBS「A-Studio+」などレギュラー番組多数。現在、尼崎市が舞台の出演映画「あまろっく」が公開中。西宮市在住。

© 株式会社神戸新聞社