【三浦泰年の情熱地泰】自分の人生を振り返っても大事な時期だった“9ボーダー”。59歳を迎える今年はどんな年に!?

僕はドラマが好きだ。

この春から新番組がスタートしたが、僕はなかでもTBS系列『9ボーダー』というドラマに注目している。川口春奈主演で、19歳、29歳、39歳…、大台目前の三姉妹の物語なのだが、このコラムではその内容はともかくとして、自分のその時期の事を考えてみた。

各年代のラストイヤーを「9ボーダー」と表すのだが、僕はこのドラマの設定にはない59歳という“9ボーダー”になる年になる(笑)。

49歳でもなくてドラマの設定を2つ超えてしまっている。第1話~2話と今後の展開はさておき、僕の9ボーダーを振り返ってみたい。

正直、意識しないで通り過ぎて来たようにも感じる大台を目の前にした年。しかし、会話の中では「20代とは…、30代とは…、40代とは違うよね…」と話した事はあったが、そこまで意識はしなかった。

ただ、違いは全てに大きかったのかな? とは思う。

そして、サッカーがあれば幸せと生きて来た自分が、60代に突入する直前の9ボーダーだ。考えてみれば意識していないとは言え、大台前は何かしら激動の年になっている。

1984年(昭和59年)、19歳になる年にブラジルへサッカー留学。

日本を離れ、ブラジルのサンパウロへ18歳で渡り、4か月後に9ボーダーの19歳となる。20歳という成人になる前に、異国でたくさんのことを大人の一歩手前として感じたことを覚えている。

今、考えると必死に大人になりたくて、自信もなくし、挫折も経験し、1人で生きているわけではない事を実感した。

親の有り難み、兄弟の存在。血の尊さなど、カズとも大人の関係に変わったタイミングがこの10代の9ボーダーだった。40年前の遠い過去のように思われるかもしれないが、僕にとっては貴重な経験をした人生の中で今を支える大事な年であった。

そして、それから10年が経つとJリーグが開幕している。

ブラジルに渡った1983年の日本にはプロはなかったが、1993年5月15日にJリーグが開幕し、29歳はJリーグ2年目を迎えた。Jリーグ元年から本格化した日本のサッカーリーグの一番大事なタイミングで僕はプロ選手として若手、中堅、そしてベテランと変わっていく30歳を目の前にしながら、清水エスパルスでチームを引っ張る役目を自ら選び、地元・清水エスパルスの初代キャプテンとして必死に闘っていた。

日本のサッカーにはプロリーグがなく、プロを目指していたわけではない僕ら兄弟がいつの間にか日本のプロサッカーリーグ、Jリーグを引っ張る立場になったのも、29歳という9ボーダーだった。

そして、そこからさらに10年が経ち、39歳になる年の38歳で現役引退を決意。

ヴィッセル神戸を最後のチームとして、大好きだった選手という仕事に別れを告げた。

そして僕にとって最も難しい仕事。選手ではない仕事へと移行したタイミングが39歳だった。

それこそ、まだまだ9ボーダーとは言えない9歳頃から真剣にサッカーを始めて、あっという間に30年が経過。39歳になる年に現役を引退し、社会人1年目を迎えた。

ヴィッセル神戸の取締役チーム統括本部長という凄い肩書を40歳になる直前で選んだ。考えてみれば、ただただ無謀な怖いもの知らずな大人であった。

そして次に迎える9ボーダーは49歳。46歳になる年、2011年になる年、45歳でJリーグJ2のギラヴァンツ北九州の監督に就任。4年目のシーズンを2つ目のチーム、東京ヴェルディで志を高く持って臨んでいた。

初めて監督として解任を味わう経験もした。50代目前に監督として監督の仕事は解任(クビ)になるのが仕事と言いながら望んでいたものの、悔しい9ボーダーとなった。

そして59歳になる今日は、今まで通りのチームがある自分ではなく、チームどころかサッカー自体もあるか分からない状況で59歳を迎える事になるなるのであろう。

60代手前の9ボーダーは、きっとドラマとは異なる。誰も興味のない、笑ってしまう9ボーダーかもしれないが、僕にとっては今までで、一番自分自身に興味を持つ年になりそうだ。

僕の周りがガラッと変化して迎える59歳という9ボーダー。余り意識してこなかった振り返れば何かが変化していった9ボーダー。

大事な1年として、また日々を悔いのないように自分らしく前進できればと思う。皆の9ボーダーはどんな時間だったのであろう? 考えてみても悪くはない。

2024年4月28日 ゴールデンウィーク突入
三浦泰年

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