『虎に翼』が描くのは男女の違いではなく制度そのもの “轟”戸塚純貴の突出したバランス

まだ第4週。朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』は中身が濃密で、もうずいぶん話数が経過したような気がしたが、まだ第20話が終わったところであった。

第4週「屈み女に反り男?」(脚本:吉田恵里香、演出:梛川善郎)はとりわけ濃密だった気がする。寅子(伊藤沙莉)が法科に入学、男子生徒たちと向き合っていくなかで、梅子(平岩紙)の家庭の事情が明らかになり、法科の生徒・花岡悟(岩田剛典)や轟太一(戸塚純貴)のキャラが光り、寅子に恋の気配もあったのみならず、最後に父・直言(岡部たかし)の贈賄容疑事件が起こり、にわかに緊迫感がたちこめた。

猪爪家に検察の日和田(堀部圭亮)が現れた第19話のラストから第20話にかけてがあまりに深刻で、それまで描かれた、寅子たちの男女混合ハイキング、寅子の脳内劇場で石田ゆり子が犬の役を演じたこと(民事訴訟の課題)などがすっかり記憶の彼方になってしまったが、改めて振り返ろう。

女子部を卒業し晴れて法科に入学した寅子。女子部から法科に進学できたのはわずか5人。寅子がつるんでいる、梅子、涼子(桜井ユキ)、香淑(ハ・ヨンス)、よね(土居志央梨)である。

ここからが地獄と、5人(+1人(玉/羽瀬川なぎ))の女戦士のような意気込みで男性の多い法科に向かうと、思いがけず、紳士的に迎えられた。男子学生の中心は花岡で言動が洗練されていて、寅子たちを、現代で言えばリスペクトする。ただ、それは、寅子たちが待ちに待っていた法改正が成され、女性も弁護士になれることが法律で定められたからでもある。

あれほど女生徒たちに悪意をぶつけていた小橋(名村辰)もすっかり大人しくなっている。よねの股間一撃におそれをなしたこともあるかもしれないが、面と向かって馬鹿にできない状況になったのだろう。法には従うところが法を学ぶ者らしい。彼らの態度から、法律の力は最強で人間の言動に大きな影響を与えることがよくわかる。

やがて花岡が馬脚を表すことになる。基本的に女性を蔑視しているが、法のもと、堂々と勉学に励んでいる寅子たちをしぶしぶ特別扱いしていただけだった。第3週で、寅子たちが法廷劇の開催にあたって、学校側が女性を応援していることのアピールのために使われていたことに気づき、忸怩たる思いにかられたことに続いて、ここでもやはり、決まったことだから従うが、内心では、女性が男性と肩を並べることを承服できないでいるのだ。

寅子はハイキングで花岡の本心を知る。特別扱いしてほしいわけではない。男性になりたいわけではない。女性に生まれたそのもので、対等に扱われたいだけなのに。思わず、激して、花岡の胸をどんっと押してしまう。法廷劇のときは、小林を爪で引っ掻こうとした寅子。頭もキレるが、すぐに手も出てしまう。

女性はみんな大人しくしているわけではなく、女性だって暴力を奮うときは奮うのだ。ただし、それがいいというわけではない。男性も女性もともに暴力に依ってしまう場合もあるという、平等の土俵に立ち、弱者と思われがちな女性が暴力に訴えることで、暴力の意味がいっそう際立つ。

サブタイトルの「屈み女に反り男」とは、女性は屈んだ姿が、男性は胸を張って上体を反らした姿が好ましいという意味である、物語はその逆を描く。そのうえ、寅子にこづかれ、崖から足を踏み外して落ちた花岡は思い切り体を反って落ちていった。反りは反りでもまぬけなこともあるという逆説の面白さであった。

よしながふみの男女逆転『大奥』もそうだが、男女を逆転させたことで、女性が次第に男性の行ってきた強権をふりかざしたり権力闘争を行いはじめたりもして、問題は、男女の違いではなく、制度そのものなのだということがわかるようなことと少し似たアプローチを行おうとしているのではないだろうか。

屈み女と反り男の具体例は、梅子と夫・大庭(飯田基祐)であろう。弁護士としては優秀そうな大庭だが、梅子を見下した言動をとり彼女の尊厳を奪っている。梅子が離婚を密かに計画し、そのためにも学んでいるが、その野心を見せず腰を低くして夫のふるまいを受け入れているように見せている。

胸を張っている男性のなかにも前例にいっさいとらわれていない者もいた。轟である。バンカラないでたちで彼は一見居丈高だが、フラットな考え方をしていて、寅子たちに好意的。大庭が梅子をばかにした発言にも不満そうな顔をしていた。

轟だけが、花岡の女性への態度はほかの男性たちの手前、偽悪的に振る舞っているだけだと見破っていた。同郷で昔から花岡を知っているからこそ、昔はそうじゃなかったのにと思って苛立っていたのだ。女性蔑視発言を「撤回しろ」「撤回しろ」と執拗に責めたのは、女性蔑視発言ももちろんだが、おまえはそういうことを言うやつじゃないという気持ちであったのだなあと感じる。

轟の良さは、男性・女性と分けて考えず、あくまで人間として尊敬できるかできないかというものさしを持っていることだ。『虎に翼』では男性が一見優秀な人は尊大で、話のわかる人はやや頼りなく、帯に短したすきに流し的な人物が多いが、轟のようにバランスがとれた人物が現れてホッとした。

直言の贈賄容疑――共亜事件によって、人間の本質があぶりだされそうだ。そのとき、法はどのような力を発揮するのか続きが楽しみでならない。

(文=木俣冬)

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