スエズ運河、苦難と希望の百年

スエズ運河、苦難と希望の百年

エジプト・イスマイリアのスエズ運河博物館の展示品。(3月24日撮影、カイロ=新華社記者/王東震)

 【新華社カイロ4月28日】エジプトのスエズ運河が25日、着工165周年を迎えた。エジプトの人々にとってスエズ運河の歴史は反帝国主義と反植民地主義の闘争の歴史である。西側諸国の地政学的な駆け引きや債務のわななどの謀略に翻弄(ほんろう)されながら、エジプトは自主独立を求め、南南協力を強化しようと奮闘してきた。

スエズ運河、苦難と希望の百年

エジプト・イスマイリア県で中国企業が建設を請け負うスエズ運河鉄道橋の旧橋改修・改良プロジェクト。(3月24日撮影、カイロ=新華社記者/王東震)

 ▽フランスの野望

 欧州とアジア、アフリカが交わる重要な場所に位置するエジプトは、地政学的駆け引きの焦点となってきた。

 18世紀末、資本主義社会に相次いで突入した英国とフランスは、世界中で植民地の拡大を競っていた。英国は物産が豊かなインドや東南アジアで資源を略奪し、自国製品を売りつけることで、この勢力争いで優位に立った。

 当時、スエズ地峡に運河はなく、地中海と紅海は海上輸送でまだつながっていなかった。東方植民地の貨物を積んだ英国の帆船は、アフリカ大陸に沿って喜望峰回りの航路を取るしかなかった。フランス人はここに英国の致命的な弱点を見た。当時のフランスの駐エジプト総領事だったシャルル・マガロンはタレーラン仏外相に書簡を送り、「(スエズ運河航路の開通は)英国とインドを結ぶ輸血管を遮断することになる」と訴えた。エジプトはその頃、オスマン帝国の支配下にあった。マガロンは書簡で、エジプトを占領するという大胆な計画を提案した。

スエズ運河、苦難と希望の百年

エジプト・イスマイリアのスエズ運河博物館の展示品。(3月24日撮影、カイロ=新華社記者/王東震)

 マガロンの提案は採用された。1798年、29歳のナポレオン率いる、3万人を超えるフランス兵と300隻以上の船からなる軍団がエジプトへ遠征した。同年7月21日、新式の銃砲を装備したフランス軍はカイロの南6キロの地点でエジプト軍と遭遇した。この戦いでフランス軍は完全な勝利を収め、ナポレオンはカイロを占領した。

 スエズ地峡に運河を開削するというナポレオンの願望は最終的に、技師による測量の誤差や英国とオスマン帝国の軍事介入により実現しなかった。だがスエズ運河を巡るエジプト人の100年を超える屈辱の歴史はこの時点でまだ始まったばかりだったのである。

スエズ運河、苦難と希望の百年

エジプト・イスマイリアのスエズ運河博物館の展示品。(3月24日撮影、カイロ=新華社記者/王東震)

 ▽完成はしたものの

 スエズ運河の開削工事は1859年4月25日、エジプトとフランスが出資する国際スエズ運河会社によって正式に着工した。その後の10年間で、エジプトは約12万人の労働者の命という痛切な代償を払いつつ、7400万立方メートルに及ぶ土を掘削し、紅海と地中海を結ぶ全長164キロ、幅52メートルの水路を完成させた。

 英ロンドンからインドのムンバイまでの航行距離は運河の開通で1万700キロから6250キロに縮まり、英仏と東方植民地の間の移動コストは大幅に低下した。だがエジプトにとっては悪夢の始まりでもあった。運河の建設過程でコストが高騰し続けたため、エジプトは英仏から繰り返し借款を受けることを迫られていた。

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エジプト・イスマイリアに位置するスエズ運河博物館。(3月24日撮影、カイロ=新華社記者/王東震)

 運河の完成時、エジプトはすでに財政破綻寸前の状態だった。1876年には累積債務の返済不能に陥り、財政破綻した。英国人はこの機に乗じて、エジプトが保有していた40%以上のスエズ運河株を安価で取得。1882年、スエズ運河を完全に支配下に置くため、英国人は軍隊を派遣し、エジプト全土を占領した。

スエズ運河、苦難と希望の百年

スエズ運河。(3月24日撮影、カイロ=新華社記者/王東震)

 ▽国有化を宣言

 第2次世界大戦後、英仏などの旧植民地帝国が急速に力を失うにつれ、長年搾取と抑圧に苦しんできたアジアやアフリカ各地の植民地で独立運動が活発化した。エジプトでも1952年、後に大統領となるナセル率いるエジプト軍将校らが革命を起こし、親西側のファルーク国王の王政を打倒。その翌年、エジプト共和国が成立した。

 1956年7月26日、革命4周年の記念式典に参加するため10万人のエジプト人が集まったアレクサンドリアのタハリール(解放)広場で、ナセル大統領は、スエズ運河を国有化する法令に署名したと発表した。

 エジプトは当初、西洋をモデルとした改革で貧困と発展の遅れを脱却しようと、植民者が念入りに作り上げた幻想の中、代価を惜しまず運河を開削した。西洋の幻想を打ち破り、入植者を追い払い、運河を取り戻し、自主独立を勝ち取るまで、エジプトの人々は1世紀近くを費やしたことになる。

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中国・エジプトTEDAスエズ経済貿易協力区。(2023年8月10日撮影、カイロ=新華社記者/隋先凱)

 ▽南南協力の舞台に

 スエズ運河は今日、世界貿易の要となっている。ピーク時には、1日当たり世界のコンテナの約30%と100万バレル以上の原油がここを通過し、世界各地に輸送される。

 エジプトは、中国が2013年に提案した「一帯一路」共同建設構想に最も早く参加した国の一つ。2024年1月1日には、主要新興国でつくるBRICS協力メカニズムに正式に参加した。スエズ運河の両岸では現在、平等で互恵的な協力という木々がたわわな実を結んでいる。

スエズ運河、苦難と希望の百年

エジプトの首都カイロで開催されたスエズ運河文化財展を見学する人々。(2019年11月17日撮影、カイロ=新華社配信)

 運河のイスマイリア区間では、中国企業が建設を請け負った鉄道橋が各種試験を終え、プロジェクト引き渡しの最終段階に入っている。供用開始後はエジプトのシナイ半島の開発と建設のための中核ルートとなる。

 運河の南50キロ足らずの砂漠に、近代的な新工業都市が姿を現しつつある。中国企業と中国・アフリカ発展基金が共同出資して建設する「中国・エジプトTEDAスエズ経済貿易協力区」は、中国とエジプトの「一帯一路」共同建設のモデルプロジェクトとなり、新型建材、石油設備、高低圧設備、機械製造などの業種の企業140社以上がすでに入居、5万人以上の雇用を地元で創出している。

スエズ運河、苦難と希望の百年

エジプト・イスマイリア県で、スエズ運河を航行する貨物船。(1月13日撮影、カイロ=新華社配信)

 エジプトの2023年の貿易総額のうち、BRICS諸国との貿易額は3分の1以上を占める。エジプトは米ドルへの依存度を下げるため、BRICS諸国との現地通貨建て貿易決済制度の構築にも積極的に取り組んでいる。

 百年にわたる苦難の歴史を経たスエズ運河は、古代文明の国が新たな歴史の章を開く舞台となっている。

スエズ運河、苦難と希望の百年

エジプト・スエズにある「中国・エジプトTEDAスエズ経済貿易協力区」の総合サービスビル。(2022年9月7日撮影、カイロ=新華社記者/王東震)

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エジプト・イスマイリアのスエズ運河博物館の展示品。(3月24日撮影、カイロ=新華社記者/王東震)

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