【ついに正念場!】『太宗 イ・バンウォン』の李芳遠は史実でどのように挙兵したのか

テレビ東京の韓流プレミアで4月26日に放送された『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』の第16話では、李芳遠(イ・バンウォン)がついに政権奪取を狙って挙兵する様子が描かれていた。

このときのことを『朝鮮王朝実録』(朝鮮王朝の正式な歴史書)ではどのように記しているのだろうか。後に3代王・太宗(テジョン)となった李芳遠のそばにいた史官(国王の言動を記録する官僚)が残した文章によると……。

まずは、鄭道伝(チョン・ドジョン)が仲間の南誾(ナム・ウン)と一緒に、世子の李芳碩(イ・バンソク)の異母兄たちの殺害を狙っていた。世子を守るためにはそれしか方法がないと鄭道伝が確信していたのだ。

1398年8月13日のことだった。初代王の李成桂(イ・ソンゲ)の容態が悪くなったので、王子たちに王宮への招集がかかった。しかし、それは鄭道伝の策略だった。彼は、李芳碩の異母兄たちが王宮に集まった時点でまとめて殺してしまおうという計画を練っていた。

そのことを李芳遠は察知していた。勘の鋭い彼は、王宮の安全なところでジッと待機していた。すると、李芳遠の屋敷の者があわてて駆けつけてきた。

「奥様が急病です。すぐにお帰りください」

画像=KBS

閔氏の大きな働き

驚いたふりをする李芳遠。彼は切羽詰まった様子で屋敷に戻って行った。これは事前に決めておいた予定どおりの行動だった。屋敷では妻の閔氏(ミンシ)が、隠しておいた武器を揃えて待ち構えていた。この時点で閔氏の働きがとても大きかった。

こうして鄭道伝を襲う準備を整えた李芳遠は、再び王宮に行って兄たちに身の危険を知らせた。そのように教えないと、兄たちが無惨に殺される可能性が高かったからだ。

そのうえで、李芳遠は王宮をこっそり抜け出して、自分の私兵たちを引き連れて南誾の妾の家に向かった。そこで鄭道伝と仲間が秘密会議を開いているという情報を得ていたからである。

いよいよ李芳遠の一世一代の戦いが始まろうとしていた……。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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