恩人のアドバイスがなければ…富田晶子さん乳がん闘病を振り返る

フレアバーテンダーの富田晶子さん(C)日刊ゲンダイ

【独白 愉快な“病人”たち】

富田晶子さん(フレアバーテンダー)
=乳がん

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2019年11月、「初期の乳がん」で左乳房の部分切除をしました。

その1年くらい前から体調を崩して、咳が止まらなくなっていました。とにかく忙しい時期だったことは確かです。病院を受診すると「風邪」と言われ、薬を飲みましたが咳は止まらず、10軒くらい病院を変えました。けれど、ずっと不調が続きました。

左胸のあたりに「硬いものがあるな~」と気付いたのはその頃でしょうか。でもそれが体調不良に関係しているなんて思わなかったので、何も考えず触ることがクセになっていました。

病院を行きつくし、最初に行った病院を再び受診したところ、先生は「まだ咳が止まらないの?」と不思議そうでした。そして、私が胸のあたりを気にして触っているのを見た先生から「そこ痛いの?」と尋ねられたので、「痛くはないです」と答えると、「しこりになってる?」「なってます」という会話になり、触診の後に大きな病院を紹介されたのです。

一応、言われた通りにその病院に行って検査は受けたものの、「自分ががんであるわけがない」と思っていたので、仕事優先で結果を聞きに行くつもりはありませんでした。でも、ちょうどその頃、審査員として参加したフレアバーテンダーの全国大会で恩人と再会し、奥さまをがんで亡くされたお話を聞き、「絶対に結果を聞きに行かなきゃダメだよ」と言われたのです。それがなかったら、早期発見できなかったかもしれません。

恩人のアドバイスを聞き、検査結果を聞きに病院に行くと、「乳がん」と言われて唖然としました。ショックであまり記憶がないくらいです。独身ですし、親に心配をかけたくなかったので、検査を受けたことも話さないまま1人でがん告知を受けました。そのときの先生の話は、ちゃんと覚えていません(笑)。

ホルモン系の乳がんだと聞きました。私の場合は部分切除と全摘出を選べたため、とりあえず部分切除を選択しました。「もし再発したらそのときは全摘しましょう」と。おかげさまで今のところ再発はありません。

ただ、手術で左腕が上がらなくなる可能性があると言われ、「フレアができなくなったらどうしよう。生きていけない」と、かなり心配でした。じつは1カ月後にステージが決まっていたのです。結果、手術は大成功でした。ただ、メンタルがやられてしまって、左腕を動かすことが怖くて仕方がない時間が続きました。

復帰の舞台では震えが止まらかなかった

2週間で退院し、その後は毎日のように通院して放射線治療を25回ぐらい受けました。ビビッて上がらない左腕をなんとかリハビリで回復させて、無事にステージはできました。でも舞台で震えが止まりませんでした。1000%の気持ちでパフォーマンスしても、気持ちじゃ補えないものがあることを初めて実感しました。

今は3カ月か半年に1回検査を受ける経過観察中です。

一番つらかったのは、やはり入院中です。私の場合は、切除して細胞を検査しないと治療法が決まらなかったので、いろんな可能性を想像して怖くなりました。ついつい気になってネット検索すると、「余命」みたいなことが書いてあったりして、不安が煽られました。なるべく乳がんについて考えない努力をしていた気がします。それでも、ベッドで1人きりだと自分だけ別の世界にいるような、世の中から切り離されてしまったような感覚に襲われました。

支えだったのは、友人や所属事務所の方のお見舞いでした。そのうれしさは忘れられません。寄せ書きの色紙やお手紙は今でも大事にしています。また何かあったら“再利用”するつもりで(笑)。人の支えは必要なんだと心から思いました。

それまでの私はフレアがあればそれでいいと思って生きていたんです。一にも二にも練習で、友達と遊ぶ時間があるなら練習したいと考えるタイプでした。それほど打ち込んでいたフレアだったからこそ、手術後に「できなくなったら……」という恐怖心で腕が上がらなかったのだと思います。

でも、死を意識する経験をしたことで「本当にその生き方でいいのか?」と思ったのです。フレア以上に大事なものがあると気付いて、友達といろいろな話をするようになりましたし、自分も周りの人をヘルプできる存在でありたいと思うようになりました。

そして気付いたら、私の周りにヘルプを必要とする人が集まってくるようになりました。小さいことですけど、たとえばエレベーターで脚の不自由な人が乗ってきたり、妊婦さんが目の前に立っていたり……。それまでは気付かなかっただけかもしれませんが、毎日のようにちょっとしたヘルプをして今は過ごしています。

伝えたいのは、自分を過信しないで健診には行った方がいいということと、病気になってしまっても「1人じゃないよ」ということ。諦めなければ見えてくる違う幸せがあるから。生きて関われた人たちの大切さに気付けて私は今ハッピーです。今フレアができていることも、主治医の先生や友達など、ずっと支え続けてくれた方がいたからなので、感謝の気持ちは忘れずに、人に元気を与えられるようなパフォーマンスをこれからもしていきたいです。

(聞き手=松永詠美子)

▽富田晶子(とみた・しょうこ)新潟県生まれ。トム・クルーズ主演映画「カクテル」に影響を受け、フレアバーテンダーを目指す。2009年にフレアバーテンダーの国際大会「JamSession2009」で世界初の女性優勝者となり注目を浴びる。現在はストーリーのあるパフォーマンスやマジックなどを取り入れ、プロのショーテンダーとして国内外で年間約250本のショーを行っている。

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