「助かったんやから、もうええやん」京都・保津川下り転覆事故、被害者に続く葛藤

女性が乗船時に持っていた財布。事故から3カ月半後、保津川で見つかった=女性提供

 京都府亀岡市の桂川(保津川)で「保津川下り」の船が転覆して船頭の男性2人が亡くなった事故は、3月28日で1年となった。事故に遭った乗客はどのような思いでいるのか、運航再開に向けて関係者はどのような対応を取り、なぜ亀岡市は4千万円超の支援に踏み切ったのか。当時の状況を振り返りつつ、保津川の環境や川下りレジャーの安全を守るため、今後の在り方を考える。

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 「事故は誰も悪くないと思っている。いつまでも被害者と言われるのは苦しい。もう忘れて終わりにしたい」。乗客で転覆事故に遭遇した大阪府在住の女性(55)はそう口にする一方、気持ちは揺れる。「なぜ死ななかったのか不思議で、当時の状況をもっと詳しく知りたい。忘れられるのは悲しい」

 女性は中学2年の長女(14)と船では前から2列目に座り、川に投げ出された。着けていた腰巻き型の救命具を膨らませることができず、水温13度の急流を約400メートル流された。後続船の船頭に救助されたが、意識はもうろうとして低体温症になり、1日入院した。

 苦しかった思いを知ってもらいたいと、親族に事故のことを話した。すると「助かったんやからもうええやん」「賠償金をたくさんもらったら」との反応が返ってきた。マスコミを通じて発信したが、あるネットニュースのコメント欄には「被害者面して」と書かれた。「誰にも分かってもらえない」と「被害者」であることが嫌になった。そんな思いを抱えつつ、なぜ助かったのかという納得できる答えは見つかっていない。「ずっと疑問符のままでは、心に終止符が打てない」

 死亡した船頭、関雅有(まさくに)さん=当時(40)=に水中で木箱を差し出され、岸にたどり着けた長女は、事故から数週間後、体に異変が現れた。通学路にある池に水が流れ込む音を聞いたり、体で風を受けたりすると、体調が悪くなった。

 授業中には発生時刻の午前11時ごろになると、当時の状況がフラッシュバックし、座っていられなくなった。現在は落ち着いたが「事故の記憶は、ずっと消えることはないだろう」と女性は心配する。

 しかし2人には「ミスは起きるもので、事故はゼロにはならない。みんなできる限りの努力はしていた」と、運航する保津川遊船企業組合(亀岡市)や船頭に怒りはない。再開についても「約100人の船頭の仕事がなくなってしまうし、再発防止策も取られた。通常に戻れたのなら良いのではないか」と女性は話した。

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    保津川下り転覆事故 2023年3月28日午前11時ごろ、亀岡市保津町の乗船場から約3.3キロ下流の保津川で、客25人と船頭4人が乗った船が岩に衝突して転覆。全員が川に投げ出され、船頭の田中三郎さん=当時(51)=と関雅有さんが死亡した。保津川遊船企業組合と京都府警は、船尾の舵(かじ)を担った船頭の男性(37)が約150メートル手前で落水し、操縦が利かなくなったのが原因としている。府警は今月22日、男性を業務上過失致死傷の疑いで書類送検した。
 

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