「自分の親なんだから面倒みなければ…」は正解なのか? 令和の親子関係を考える

50代ともなれば親は70代から80代。後期高齢者です。介護の心配が頭をよぎりますが、高齢者医療の現場をよく知る和田秀樹氏は「親の介護は子がするもの、という認識は時代遅れ」と指摘します。令和の親子関係は、介護制度を上手に使って親も子も自由を謳歌する選択が正解かもしれません。

※本記事は、和田秀樹:著『50歳からの脳老化を防ぐ 脱マンネリ思考』(マガジンハウス新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

現代の高齢者は想像よりも元気に暮らしている

“親との関係”についてお話ししたいと思います。高齢者医療の現場に携わっていると、親との関係で悩まれている50代の方々をたくさんお見かけするからです。

50代の親世代は、70代から80代という人が多いでしょう。微妙な年代で、たとえば55歳の親が80歳だとすると、そろそろ介護が必要になってきたり、あるいは現在、すでに介護を受けている年代ということになります。

今はまだ両親が元気でやっているとしても、定年を迎える頃はどうなっているかわかりません。まして自分が60代後半ともなれば、ほとんどの親は何かしらの形で介護を受けている可能性があります。

「親の介護が始まるかもしれないな」と思えば、定年後の20年も大きく見直すしかありません。悪い事態を想定してしまえば、定年後の20年もたちまち色褪せてしまうのです。

でも、私はこういうアドバイスを繰り返して伝えています。「こうなるに違いない」という否定的な決めつけのほとんどは、最悪の結果だけを信じ込むものでした。今の高齢者は、50代が想像するより遥かに元気です。個人差はありますが、若々しい70代80代が街を闊歩しています。

彼らや彼女らは幸せそうです。少なくとも、「どうなるんだろう」という定年後への不安を抱える50代から見れば、まるで老いを謳歌しているようにさえ見えます。これは老いのさなかに入り込んだ人間の強みです。不安に脅えている50代より、いざその年代になってみて、「こんなもんか」「まだまだ大丈夫だ」と開き直って生きている世代のほうが逞しいのです。

▲現代の高齢者は想像よりも元気に暮らしている イメージ:IYO / PIXTA

子どもが親を介護する時代は終わった?

まず気がついていただきたいのは、50代の親世代というのは、まだ恵まれた世代だということです。退職金の額も多いし、年金だっていわゆる3階建て部分の企業年金を貰っている人も大勢います。

景気のいい時代には、どの企業も年金積立分を金利の運用益で膨らますことができましたから、厚生年金より企業年金のほうが多いケースは珍しくありませんでした。

現役時代にはバブルに便乗して財産を殖やした人もいるし、贅沢もさんざん楽しんできました。苦労した時期があったとしても、そのぶん十分に報われた世代なのです。しかも、介護保険制度が整ってきましたから、資産に応じたさまざまな公的介護サービスを受けることができます。

今の50代が退職しても、十分な企業年金を貰える人はほんの一部に限られています。現役時代、一度も良い思いを味わうこともなく我慢だけを強いられ、それで定年を迎えても何も見返りもないことを考えると、親世代は遥かに恵まれた世代なのです。

そういう親世代を、なぜ恵まれない自分たちで介護する必要があるのでしょうか。介護度に応じた公的サービスを受けてもらうことを、なぜためらう必要があるのでしょうか。

私は大きな流れとして、今の日本では子どもが親を介護する時代は終わったと思っています。制度を上手に利用すれば(相談窓口ならいくらでもあります)、親も子どもも幸せな老後を送ることは可能ですし、そのほうがお互いに気が楽です。

まして、親の自宅に泊まり込む遠距離介護や、子どもの自宅に引き取るような呼び寄せ介護は、お互いの負担が増えるだけですし、子どもが犠牲になってしまいます。

我が子に介護してもらう親が幸せかといえば、これもはっきりNOと言えます。どうしても「迷惑をかけている」とか「私のせいで」といった遠慮や自責の気持ちが強くなって、むしろツラい感情を抱えてしまいます。

▲子どもが親を介護する時代は終わった? イメージ:shirosuna_m / PIXTA

そうなるくらいなら、介護サービスを利用して訪問介護を頼む、施設からの送り迎えでデイサービスを利用する、施設や職員に慣れてきたらショートステイのような宿泊利用もしてみる、そういった介護度に応じたサービスを、本人たちの判断に任せて受けてもらえばいいだけの話です。

つまり、50代が自分の定年後を考えるときに、親の介護の問題は頭から抜いていいということです。もちろん、それが現実となる前にきちんと話し合うことは必要ですが、基本的に親は自分の子どもに介護させることは望んでいません。

むしろ、子どものほうが「自分の親なんだから面倒みなければ」という古い道徳観に捕まっていることが多いのです。

親もプロの他人に介護してもらいたいはず

この問題は「自分だったら」と考えれば、わりと簡単に答えが出るはずです。「高齢になって体が不自由になったら、子どもに介護してもらいたいか」。そう問いかければ、「いや、動けるうちは頑張って動き続けよう。どうしようもなくなったら施設を利用するのがいちばん気が楽だ」。そう答えが出るはずです。

なんのためにずっと介護保険料を払い続けてきたのか、制度を利用するのは当然の権利です。まだ現役世代の子どもたちだって自分の人生を楽しむ権利があります。親も元気なうちは残された人生を楽しむ権利があります。

できるだけ長く元気でいるためには、動けるうちはとにかく動き続けることです。残っている能力を使い続けることです。できなくなることが増えてきたら、その部分だけを他人に頼る、それが介護サービスです。

おそらく、70代80代あるいは90歳を超えても親のほとんどはそう割り切っています。それどころか、「子どもの世話にだけはなりたくない」と考える親が大部分だと思ってください。

なぜ子どもの世話にはなりたくないのか? これには意外と言えば意外、当然といえば当然の理由が隠されています。子どもが介護すればどうしても、親を安全な場所や目の届く場所に置こうとするからです。「外をフラフラ歩かないで」とか「部屋でじっとしていて」と言って外出を制限したり、散歩でも必ず付き添うようになります。

これでは監視されているみたいです。食事も「塩分はダメ」「脂っこいものはダメ」「お酒はもうおしまい」と制限されます。行動も食べ物も自由を制限されますから、不満が溜まってきます。それでも、自分のために子どもに負担をかけていると思えば文句も言えません。

▲親もプロの他人に介護してもらいたいはず イメージ:buritora / PIXTA

その点で、他人に介護してもらうのは気が楽です。自分がしてほしいことや、してほしくないことをはっきり口にできます。公的サービスの介護でしたら、相手はプロですから割り切って要求できるのです。介護を受ける側からすれば、こちらのほうが気が楽です。

ちなみに、私がしばしば挙げるデータですが、家族と暮らす老人と独居老人、自殺率が少ないのは独居老人のほうです。

さらに挙げれば、施設での入所者への虐待がしばしばニュースになりますが、全国に広がる膨大な数の介護施設を考えれば、ほんのわずかな比率でしかありません。それよりむしろ、在宅介護が引き起こす虐待や、介護者のうつ病や自殺のほうが多いのです。

つまり、高齢になった親とのつき合い方は、縁が切れない範囲で続いていけばいいのだと私は思います。お互いに犠牲にならず頼りにもしないという、ごくあっさりした関係が親子にもあっていいのではと思うからです。

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