熟年離婚で“幸せになった女性”がしていたこと #7「恐ろしい夫から逃げることができたのは…」

どんな場合でも離婚は簡単ではありませんが、特に配偶者と長く生活を共にした後の「熟年離婚」は、ひとりになった後の人生が大きく変わります。

年齢が高くなると、よりクローズアップされるのが仕事やお金の問題であり、離婚後に自立して生きていけるかどうかが最大のハードル。

熟年離婚で幸せになった人は、シビアな現実を正面から見て最大限の努力をしています。

実際にどんな考え方で離婚やその後の生活と向き合っているのか、実録でご紹介します。

「子どもが産まれてから、私を家政婦のように扱う元夫には、とうの昔に愛情をなくしていました。

それでも離婚しなかったのはふたりの子どもがいるからで、元夫の収入がないと生活ができない状態、我慢しながらもずっと『この子たちが成人したら離婚を』と考えていた気がします。

表面上だけでも仲のいい両親でいたいと思いがんばっていましたが、私の努力を『お前のやることなんてたかが知れているよな』と小馬鹿にする元夫には、本当に腹が立ちましたね……。

長男は県外の会社に就職して次男は同じ市内の会社で働くことが決まり、『ひとり暮らしをしたい』と言われたとき、離婚の決意が改めて蘇りました。

私はずっと派遣社員としてスーパーなどで期限付きの勤務を繰り返しており、自活するには不安が大きく、市内に住む実家の両親に思い切って同居をお願いしました。

両親は突然の離婚話に驚いたものの、『一緒に住めば生活が楽になるし助け合える』と話し合い、同居が決まりました。

子どもたちは私の両親に昔から懐いていたせいか、離婚したら実家に戻ることを話したら喜んでくれたのがうれしかったですね。

問題は元夫で、『離婚したい』と言ったら『俺の生活はどうなるのだ』と怒り、『そういう自分のことしか考えないところが本当にイヤ』と返したら殴られそうになったため、両親に事情を話してすぐ引っ越すことを決めました。

仕事は有給を使って休み、元夫が仕事に出た隙に荷物をまとめて家を出ましたが、その夜からガンガン電話がかかってくるのは恐怖でしかなかったですね……。

ひたすら『謝れ』『許さないからな』と留守電に残す元夫に両親も驚き、『ふたりで話すのは無理だろう』と間に入ってくれて助かりました。

元夫は私の両親にも暴言を吐きましたが、父が『別居が数年続けばどのみち離婚できるからな』『娘は二度とここには戻らない』と何度も伝えたせいかだんだんと勢いがなくなってきて、最終的に離婚に同意しました。

財産分与では正直にいえば損をした部分もあるのですが、そこにこだわるとまた元夫が怒り狂って暴れるのが目に見えて、それよりも少しでも穏便に離婚が成立することを目指しました。

計画になかった別居で毎日が慌ただしかったですが、父が元夫と交渉を続けてくれる間に両親の生活費や医療費、保険代などを改めて見直して、安定した暮らしができるよう必死に考えました。

転がり込んだ娘を守ってくれる両親には感謝するばかりで、日頃から連絡を取り合い子どもたちと過ごす時間もたくさん作っていたことが、よかったのだなと実感します。

離婚すれば自分の力で生きていくことになる、両親を頼るのであれば生活をきちんと立てていくのが私の役目で、離婚と並行して自分のことにも集中したのは正解でした。

今はたまに遊びに来る子どもたちとも楽しく過ごしながら、両親と3人で穏やかな毎日を送っています」(50歳/派遣)

離婚後に両親を頼る人は多いですが、単純に生活が楽になるとは限らず、かかる生活費について改めて見直すことは、安定した暮らしに欠かせないと感じます。

無駄な契約などは思い切って解約したりプランを作り直したり、手間がかかっても最初にしっかりとやっておくことが、後々のトラブルも防ぐのではないでしょうか。

新しい生活になるからこそいろいろな面で環境を整えておくことは、熟年離婚に限らずストレスのない暮らしには重要です。

(ハピママ*/ 弘田 香)

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