27歳最年少市長「次の職業は…」 灘中高・ハーバード卒、芦屋の高島氏「国政へのステップではない」

就任からの1年を振り返る芦屋市の高島崚輔市長=芦屋市打出小槌町、打出教育文化センター(撮影・吉田敦史)

 兵庫県芦屋市の高島崚輔市長(27)が就任して5月1日で1年となる。史上最年少の市長として当選し、灘中高や米ハーバード大卒といった経歴にも全国から注目が集まった。その手腕は発揮されたのか。現在の率直な思い、さらには「市長後」の人生についても尋ねてみた。(聞き手・土井秀人) ### ■対話を重視

 -どんな1年でしたか。

 種まきの1年でした。就任後に訪問したイベントや施設は300を超え、対話集会でも多種多様な声をいただいた。市役所の中にいたら見えなかった課題などを直接聞くことができ、それをどう政策に反映させ、予算を付けて解決していくかまでを見極めるための準備期間でした。

 市長の仕事は常に現場と経営側を行き来することができ、両方があるからこそ良い意思決定ができる。良くも悪くも市民の反応がダイレクトに返ってくるので、やりがいがあります。

 -対話によって進んだ政策は何ですか。

 もう本当にたくさんあるんですけど、大きな社会課題だと感じた一つが不登校でした。対話集会に当事者の子が来てくれ、「本当は誰かに相談したかったけど、できなかった」という。保健室の先生もいるし担任もいるから相談してと周囲は言ってしまうかもしれないけど、できない現実がある。その重さを実感し、2024年度からは心のケアを専門に行うサポーターを全校に配置しました。

 -人の話を聞きすぎると、意思決定に迷いが生まれませんか。

 意思決定と対話は切り分けて考えています。私は市民の負託を受けているので、今だけでなく未来のことを考え、最終の意思決定はしっかりとする。対話はそのプロセスというか、どんな理由で決めているかも含めて対話を重ねることで、納得感を得てもらえると思います。対話をし、意思決定をし、その決定を理解してもらうために対話を続ける。この三つのステップを大事にしています。 ### ■組織運営

 -組織は人。感情を持った人間が働いており、いくらトップが優秀で正しいことを進めようとしても、人を動かさなければ実現しません。どう動かしますか。

 これも対話ですね。例えばJR芦屋駅前再開発の見直しでは、どこまでだったらできるかなどを部長、課長、課の職員と相当話しました。そうすると、互いに何を考えているかが分かってくる部分がありました。

 とにかくぶつけ合って話す。職員にちゃんと「それは良くないと思います」と言ってもらえることが大事。職員との対話では、大きな方向性を早めに言う、あとはなぜかという理由をちゃんと話すことを意識しています。 ### ■東日本大震災が原体験

 -市長となる原体験は、灘中時代に発生した東日本大震災だと聞きました。

 当時2年の終わりでした。灘中高は阪神・淡路大震災で避難所になり、遺体安置所になり、自衛隊の炊き出しもありました。そういう環境だったのに何も知らなかったと突き付けられました。

 それで何かやろうとしたんですが、最初は何もできなかった。1年ちょっとが過ぎた翌年の夏休みに、先生と何人かの生徒で宮城県南三陸町や女川町、福島県を巡りました。その中で一番強く、原体験として残っているのが現地の同世代の姿でした。本当にいろいろなことをしていて、ボランティアもそうだし、復興のためふるさとのためのプロジェクトに取り組んでいた。

 こういうために学んでいるのかなと思いました。それまでは「今は学んで、いつか恩返しします」だったけど、今すぐできることがある。地元や地域に対して学びを還元できると教えられました。

 どうしても「世界の課題を解決しよう」みたいな大きな話を考えがちだけど、意外とローカルのところに課題がたくさんあって解決できる。あの時被災地に行っていなかったら、この仕事(市長)はやっていないですね。 ### ■市長の次は?

 -まだ27歳。答えづらいかもしれませんが、市長を4年やった後はどんな人生プランを描いていますか。

 人生100年時代で70年以上ありますもんね。あえて質問の裏をちゃんと読み解くと、よく言われるんですよ、「次は県に行って国に行って、市長はステップですか」って。もし仮にですよ、国会議員がやりたいのなら最初からやってますよね、絶対に。あの世界って(当選を)何期積むかじゃないですか。

 いろいろなオプションがあった中で市長が一番いい、社会を変えられると選んでいるので、何かのためのステップではありません。1年やってみて、やっぱり市ってめちゃくちゃ大事だと感じました。市が変わると暮らしが変わる。権限がないことももちろんあるけど、できることはたくさんある。本当に可能性を感じていますし、芦屋を世界一住み続けたい街にするという思いは全く変わらないです。

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