佐世保空襲 投下目標示す「リト・モザイク」とは? 狙われた街の中心…伝わる米軍の計画性

米軍が作成したリト・モザイク。佐世保市中心部の宮地町辺りを投下目標にし、十字線と黄色い円を描いている(米国立公文書館蔵、工藤洋三氏提供)

 1945年6月29日未明に起こった「佐世保空襲」では、米軍のB29爆撃機が長崎県の佐世保市街地に焼夷(しょうい)弾約千トンを投下し、1200人以上が犠牲になった。米軍は空襲の10日ほど前に佐世保を偵察して航空写真を撮影。爆撃する場所を示す「リト・モザイク」と呼ばれる航空写真地図をつくっていた。地図には宮地町辺りに、焼夷弾で焼き払う目標を示す黄色い円と十字線が描かれ、街の中心を狙った計画的で緻密な空襲だったことが分かる。
 佐世保空襲のリト・モザイクは、任意団体「空襲・戦災を記録する会」の工藤洋三事務局長が30年ほど前に米国立公文書館で見つけた。
 地図には、爆弾を投下する目標地点の「爆撃中心点」と、点から半径1.2キロの場所に黄色い円が描かれている。空襲の際、各機がリト・モザイクを携行したとされる。
 米軍は爆撃の誤差も想定。爆撃中心点を目がけて全てのB29が焼夷弾を投下すれば、投弾した半数が円内に落下し「市街地全体が丸焼けになると考えた」(工藤氏)という。
 市街地の南には佐世保湾がある。爆弾を無駄にせず、目的の市街地を効率的に焼き払うため、佐世保の場合は爆撃中心点を「少し北寄りに設定する必要があった」と推察する。
 焼夷弾は、燃えやすい場所を狙い投下するため、建物の配置や人口密度に基づいて「焼夷区画」も設定していた。佐世保の場合、労働者の住宅や商店街が密集し、最も燃えやすい地域「ZONE1(ゾーン1)」として、市街地全体が濃い赤色で塗りつぶされていた。工藤氏は「一部で火災を発生させるのではなく、大火で街全体を焼き払うためだった」と狙いを分析した。

米軍は建物の配置などに基づいて「焼夷区画」も設定していた。佐世保では最も燃えやすい地域に市街地全体が濃い赤色で塗りつぶされていた(米国立公文書館蔵、工藤洋三氏提供)

 工藤氏によると、米軍が焼夷弾による攻撃の対象にした都市は全国で20カ所あり、京都を除く人口25万人以上の都市を基準にして選定したという。40年時点で佐世保市の人口は約20万5千人で、基準には達していなかった。人口が少なくても、佐世保海軍工廠(こうしょう)など「軍事基地があり、日本の軍需生産で重要な都市だったため、選定されたのでは」と指摘した。

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