「投手としての相棒が...」元近鉄・佐野慈紀氏の「右腕切断手術」告白 「こんなことが」ネット衝撃

プロ野球の近鉄、中日で投手として活躍した佐野慈紀氏(56)が2024年4月30日にブログを更新し、感染症の進行により5月1日に右腕切断の手術を受けることを告白した。

Xでは「右腕切断手術」「佐野慈紀」がトレンド入りし、多くのファンから衝撃の声が寄せられている。

「56歳 最初の出来事が右腕を失う事」

佐野氏のブログによると、23年4月に右足中指の感染が発覚、緊急のため右足中指を切断し、治療のため強制入院生活が始まった。発覚が遅ければ、右足を失うところだったという。

長期の治療の結果、回復したが12月に感染症が足から指先に移転。最初は小さな傷口だったものの、指先に壊死が確認され指先を2本切断したという。

そして24年1月に心臓弁膜症が発覚した。ブログには「血流の悪さに懸念が増える。動脈硬化が激しく回復がままならない。糖尿病による影響は恐ろしい。これ以上感染を広げない為に洗浄の繰り返し。毎回激痛が走る」と当時の状態がつづられている。

4月30日まで右手の機能を残すために治療を続けるも感染症が進み、5月1日に右腕を切断することになったという。

4月30日に56歳の誕生日を迎えた佐野氏はブログに「56歳 最初の出来事が右腕を失う事」とし、苦しい胸の内をこう綴った。

「衝撃過ぎて...こんなことがあるなんて」

「涙は出なかった。もちろんショックはあるけれど 何とか機能を残そうとしたけど。。。
ままならない。受け入れることなんて出来ないけど 生きる為には乗り越えないとな。思い入れはたくさんある。思い出も語り尽きない。一緒に戦ってくれた右腕 感動を分かち合った右腕 明日、お別れする。ごめんなさい。この言葉しか浮かばない」

佐野氏の告白を受けXには「衝撃過ぎて...こんなことがあるなんて」「佐野先生、乗り越えてください」生き続けるために失うものが大きすぎるな...」「これは辛い決断」「胸が詰まる思い...」「本人が一番辛いと思うけどまずは生きてこそなので」「辛すぎる...投手としての相棒が...」などの声が寄せられた。

佐野氏は、近畿大学から90年ドラフト会議で近鉄から3位で指名され入団。主に中継ぎとして活躍し、95年に10勝を挙げた。00年に中日に移籍し、その後、米独立リーグ、メキシカンリーグを経て、03年にオリックスに入団してオフに現役引退した。

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